ないのではない。併し性格は誤って[#「誤って」に傍点]把握される場合があるであろう。理論の計画は誤って立てられることがあるであろう。どのような理論的計画を立てるか、どのように性格を見出すかは、成る程人々の自由であるように見えるが、併しそうすることによって実践的に事物を処理することが、結局に於て――直ぐ様ではない――不可能となるならば、その計画・その性格の把握・は誤っているに違いない。何となれば性格は事物を実践的に処理する方法を与えるのでなければならなかった、計画はそのような目的を有って初めて計画であり得た、のであるから。向の社会現象は信仰又は国民意識の鼓吹とは関係なく、それ自身の軌道を歩んで行くであろう。性格の発見――それは理論乃至実践の実践的方法に依存する――を条件づけるこの正誤[#「正誤」に傍点]は併し、何によって標準を与えられるか。
 夫を与えるものが歴史的運動[#「歴史的運動」に傍点]である。私が歴史的運動と呼ぶのは併し、歴史家によって記述された又されるべき歴史学的統一体――世界史乃至某々史――としての歴史のもつ運動、を指すのでは必ずしもない。そうではなくして要素的に、又一般的
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