ただこの点にしかない。両者にとって要するに虚偽の源泉は意識[#「意識」に傍点]に、そして意識は par excellence には個人の――先験的又は経験的――意識であるから、個人[#「個人」に傍点]に帰せられた。実際虚偽を犯す者は無論個人なのであり、之を犯させるものは無論個人の感情乃至意志であろう。それを吾々は無論拒みはしない。併し吾々の問題はそこにあったのではなくして、実は、この個人意識に於て、一定形態[#「一定形態」に傍点]の虚偽が組織的に如何にして成り立つかにあった。問題は再びリボーの場合と同じく、個人の感情乃至意志へ、一定の虚偽形態[#「形態」に傍点]を組織的に与えるものが何であるかにある。個人意識へ一方に於て真理という形態を組織的に与え、他方に於ては虚偽という形態を組織的に与えるもの、それはもはや個人意識自身であることは出来ない。それでは何か。
タルドは茲に社会[#「社会」に傍点]という概念を用意している。現実の論理はタルドに従えば単に個人的論理[#「個人的論理」に傍点]ではない、そうではなくして正に社会的論理[#「社会的論理」に傍点]なのである。論理的に動くもの、それは
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