就いて吾々を助ける(La logique sociale を見よ)。論理は単なる合理的な論理としては現実には存在しない。論理(目的論)は常に、原理的に、信念[#「信念」に傍点](と欲求[#「欲求」に傍点])の論理でしかない。それ故現実に行われつつある排中律は、BがAであるか非Aであるか、ではなくして、Bが如何なる程度にAであり、又如何なる程度に非Aであるかという、その程度[#「程度」に傍点]を云い表わす。この程度がとりも直さず信念(と欲求)の強さ[#「強さ」に傍点]に外ならないのである。人々が主張しようと欲求する命題は原理的に、主張の一程度の強さ、強調のアクセントを有つ。このようなものこそ個人々々が現実に用いつつある処の生きた論理であるのである。タルドはそう教える。さてそうすれば虚偽は人々の信念(乃至欲求)或いはそのアクセントの程度から来る外はない。リボーに於ては虚偽の源泉は感情[#「感情」に傍点]であった。タルドにとってはそれは信念(乃至欲求)の内に、云い換えれば、意志[#「意志」に傍点]の内に横たわる。今までの処二人の考え方には少くとも之だけの相異はあった。併し又今までの処、相異は
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