ないであろうから。であるから吾々はリボーから次のことを学ぶことが出来た。第一に、虚偽はその発生の地盤を感情の論理の内に有っている、何となれば合理的論理は原則として虚偽を含まない筈の論理の理想であったのだから。第二に併し、感情の論理はどのような場合に夫から虚偽が組織的に発生し、又どのような場合に却って真理がそれから組織的に発生するかを、それ自身に依っては説明することが出来ない。何となれば先入見とは――之を正当づける推論の正不正とは無関係に――場合々々によって真理又は虚偽であるから、虚偽が感情に基くことは明らかとなった、併し感情[#「感情」に傍点]のどのような形態に基くものが虚偽であるかが未定なのである。そして大事なことは、組織的に虚偽を生むべき感情のこの形態が、感情そのものによって決定され得なかったという点である。かくて一定形態の組織的虚偽を明らかにすることの出来るものはもはや単なる感情ではなくして、もはや単に主観的な意識の機能ではなくして、之の外にあって之の形態を決定する処の何物かでなければならない。
近代に於ける最も意味ある、そして最も独創的な社会学者 G. Tarde はこの点に
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