ても一旦限界が問題となることが出来たが、之と異って全く限界が問題となることの出来ない場合に於ても亦性格は明らかにされ得るであろう。例えば欧州文明に於けるギリシア思想とヘブライ思想との夫々の性格の如きがそれである。或る見方からすれば全文明がギリシア的性格をもち、又他の見方からすればこの同じ全文明が又ヘブライ的性格をもつであろう。性格は限界――この幾何学的なる規定――を有つことなくして、云わば力学的に、否、個性―モナドも亦力学的であると云うならば、化学的に、機能することが出来る。性格は相互に浸透する(この意味に於て又性格は、領域[#「領域」に傍点]とは関係がない。尤もモナドも亦そうである**)。性格概念が限界の概念とは無関係であることが明らかとなったであろう。すでに一般に限界と無関係であるから、性格が最後の限界としての単一者として現われなければならない動機は何処にも存在しない筈である。分割出来ないという性質を持ち出しても、それによっては性格概念の解明に何の変化も起こされないであろう。かくて性格は限界や分割とは何の関係をもつものでもない。そして限界や分割は個別化原理に帰するのであった、故に性
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