Iと考えられるこの歴史的社会の事実[#「事実」に傍点]に於ては、この特有な意味で道徳的な――個々の主観的な個人倫理的道徳の当為からは独立でありそして物理的[#「物理的」に傍点]なるものに対する処の――道徳的事実(fait moral)に於ては、事実上[#「事実上」に傍点](但しこの事実が今の意味での道徳的事実である事を忘れてはならぬ)人々はただ解決し得る問題をしか提出し得ない[#「ない」に傍点]のである。歴史社会的事実――特有なる意味で道徳的なる道徳的事実――に於ては、事実上[#「事実上」に傍点]、解決し得る客観的条件を具えた問題のみが常に選ばれるのである。この意味に於て、事実上、性格的な――歴史的使命を持った――問題のみが選ばれるのである。選ばれる[#「選ばれる」に傍点]と云うのであって、選ばれねばならない[#「ねばならない」に傍点]というのではまだ必ずしもない。――処が、特有な意味での道徳的事実としての歴史社会的事実[#「事実」に傍点]は、個人的当為[#「当為」に傍点]の内容であり基体であった。それ故凡そ何ものかが歴史社会的事実として事実上かくある[#「ある」に傍点]が故に、正にその故に、個人的当為としてかくあらねばならない[#「あらねばならない」に傍点]のである。事実と当為とのこの帰結の関係はとりも直さず、歴史的運動の概念が、歴史的使命[#「歴史的使命」に傍点]の概念が、即ち一言で云うならば性格[#「性格」に傍点]の概念が、云い表わそうとする処のものそのものであった。故に今云うことが出来る、性格的問題が(歴史社会的)事実上常に選ばれるのであり[#「あり」に傍点]、故に[#「故に」に傍点]又選ばれねばならない[#「ねばならない」に傍点]のであると。問題は常に性格的に選ばれるのであり[#「あり」に傍点]、故に[#「故に」に傍点]又そのようなものとして選ばれねばならない[#「ねばならない」に傍点]のである。否問題それ自身が常に性格的であり、恰もそれ故に又性格的であらねばならないのである。性格的でない問題も事実としてはあるではないか、と人々は云うかも知れない。併しそれは、一応一つの問題であるかのように見えても、歴史社会の限界条件に於ては、事実上は結局問題の資格を持ち得ないものである。この事実上の無資格を結果に於て暴露するものが恰も歴史的運動の外にはないのであった。問題
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