nを帯びた、事物を略々意味する。
[#ここで字下げ終わり]
蓋し問題の選択はその問題の解決を目的とする。そして問題の解決とは、問題が常に歴史社会的存在であるから、歴史的社会の或る必要[#「必要」に傍点]を充たすことに外ならない。解決する必要のない問題は問題ではないからである。であるから問題と解決とは、社会の歴史的必然[#「必然」に傍点]――それは取りも直さず歴史的社会の必要[#「必要」に傍点]・要求[#「要求」に傍点]となる――を受け容れ、そして之を解きほごし、かくすることによって新しい必然を呼び起こす処の、一つの歴史的過程であるであろう。之によって社会の歴史的運動の一つが茲に展開されるのである。故に問題の選択はかかる歴史的運動に寄与すべく行われなければならない。かかる歴史的使命を有った問題のみが選択されねばならない。性格的な問題[#「性格的な問題」に傍点]が選択されねばならない[#「ねばならない」に傍点]所以である。――選択されねばならないというこの当為[#「当為」に傍点]は併し乍ら、ただ選択しようとする個人[#「個人」に傍点]に対して吾々が関心を有つ時に限って、効果を有つことの出来る概念であることを注意しよう。と云うのは、個人の主観的意志に対してのみ、当為の意味は成り立つ。もし吾々の関心が個人に限られなかったならば、もし個人を優越する限りに於て客観的と考えられる歴史社会的事実[#「歴史社会的事実」に傍点]に吾々が関心するならば、この当為の概念は、茲に於ては、元のまま効果を有つことは出来ないであろう。個人にとって、性格的問題が選択されねばならない[#「ねばならない」に傍点]からと云って、無雑作に同様に歴史的社会に就いてもそうあらねばならないのではない。歴史社会的事実[#「事実」に傍点]を個人的当為[#「当為」に傍点]と混同[#「混同」に傍点]することは、異った二つのものを一つにする点に於て誤っているよりも寧ろ、元来一つであるものを二つに離してしか考え得ない所から由来する誤謬であるであろう。歴史社会的事実とは、個人的当為の内容の外ではなく、又個人的当為とは歴史社会的事実を基本としてのその個人的な解釈に外ならない。何となれば歴史社会的事実とは特有な意味に於ける道徳的事実[#「道徳的事実」に傍点]――fait moral――なのであるから。そこで個人を優越する限り客観
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