だからである。蓋し、問題は歴史社会的存在であった。そこで社会から抽象された単なる歴史の、既成性の単線上に於ては、ただ既知の又は約束済みの問題しか発生しないわけである。之に反して、歴史から抽象された単なる社会の、統一的な横断面は、云わばこの既成線に対して垂直に交っている。歴史の既成性は、自分自身の単線的統一を外にして、なお社会のこの横断面に於て別な統一に織り込まれているのである。単なる歴史の単線にとって突発的な問題はとりも直さず、却ってこの横断面に於て統一されており、そしてその面の随処から発見され発明されて提出されたものに外ならない。社会的横断面によって統一された諸問題であるからには――時代の問題であるからには――所謂突発的問題が歴史の単線的統一にぞくさないからと云って、それだけ夫が歴史的でなくて偶然的であるのではない。例えば或る時代――社会的横断面――に於て哲学が自然科学から問題を突発的に提出され、又他の時代に於て経済学から突発的問題を突きつけられるということは、歴史の単線の延長上に於て理解し得ることではない。歴史は云わば単線ではなくして長短無数の線の束であり、その各線の発生期を見るためには少くとも随処に横断面を作って見ることが必要であるであろう。歴史を発生しつつある歴史として、即ち歴史を歴史らしい歴史として見る時、歴史は常に歴史社会[#「歴史社会」に傍点]なのである。問題はそしてかかる歴史社会に於ける存在であった。突発的問題が既成的問題に較べて、優越なる意味に於て問題の名に値いする所以である。
如何なる問題も、既成的問題であっても、又歴史上の宿題であっても、展化する。同じ問題であっても問題提出の仕方は展化する。併し既成的問題にあっては、その展化の仕方それ自身が新しく展化することは出来ない。その展化の軌道――展化という過程ではない――そのものは伝統的に固定されているのである。固定した軌道はそれが属すべき何かの位置が既知であるに相違ない、それ故既成的問題は既成の科学的分科[#「分科」に傍点]のどれかにぞくする問題として位置づけられることが出来る。哲学の問題は何々であり、法律学の問題は何々であり、言語学の問題は何々である等々、分科的に独立な問題とそれはなることが出来るわけである。恰もこのような科学的儀礼に対して突発的問題は不信と疑惑とを懐くのである。
さて、突発的問
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