或る一定の問題[#「問題」に傍点]を解き又は提出せんがために、そのような動機に於て、最も適切な立場が採用されているというのが、正直な事実なのである。故に理論をして理論たらしめる終局的[#「終局的」に傍点]なるもの――一定の警戒の下にこの言葉を使うとして――、云い換えれば理論をして理論たらしめる性格的なるもの、即ち論理的基礎[#「論理的基礎」に傍点]・根拠[#「根拠」に傍点]ではなくして性格的動機[#「性格的動機」に傍点]、之は立場の整合[#「立場の整合」に傍点]ではなくして問題の把握[#「問題の把握」に傍点]に存する。吾々が理論の体裁を具えた一切の理論に就いて――理論になっていない理論は別である――、その性格を決定するためには(例えば此理論は真であり又は虚偽であり、彼の理論は卓越し又は愚劣である等々)、その理論を還元する処の――従ってその理論の性格を破壊して了う処の――所謂立場を、終局的な標準とすべきではない。そうではなくして正に、その理論をその立場にまで動機づけた処の、問題が、何であったかを、第一義に最勝義に問うべきなのである。問題[#「問題」に傍点]は立場[#「立場」に傍点]に先行[#「先行」に傍点]し、之を優越する。
もし仮に理論の性格がそれの有つ問題[#「問題」に傍点]に於て理解される代りに、それが立つと考えられる立場[#「立場」に傍点]に於て理解されたならば、それから結果する代表的なるものは理論の原理的な水掛論でしかあり得ない。
吾々は立場と問題との二つの概念の関係をより明らかにする必要がある。
どのような理論も形式上は[#「形式上は」に傍点]――還元性に於ては(前を見よ)――問われ[#「問われ」に傍点]たるものに対する答え[#「答え」に傍点]として展開する。形式上では問いが先立たない理論はないのが事実である。それ故理論の形式的[#「形式的」に傍点]構造が「問いの構造」と呼ばれることはその限り正しい。恰も問題[#「問題」に傍点]はこの問いに結び付いて理解されそうである。問いの構造とは、問うことが如何にしてなり立つか、即ち吾々が何に基いて問いを発する可能性と必然性とを有つか、という問題であるが、この問題は思うに、問うことそれ自身が吾々人間的存在の意識の根本規定であるから、と云って答えられるであろう。茲にあるものは問いという出発[#「出発」に傍点]の問
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