よって少しも事物としての性格を失わない筈である。それ故性格的概念は却って概念としての性格をもたない。ただこのような概念[#「概念」に傍点]に就いてのみ、ヘーゲルに倣って、事実的なるものは概念的である、と云われることが出来るであろう。吾々が日常生活に於て使用している概念――吾々の行動は常に或る意味での概念に依って行われる――は恰もこの種類の概念に外ならない。非性格的概念は之に反して事物とは異った性格――概念としての性格――を有っている。非性格的事物はそれ自身に通路をもたなかったから之に就くべき通路は事物以外のものから与えられる外はない。この通路を与えるものが非性格的概念である。この種類の概念は事物の代理者として、事物の性格とは独立に、概念という性格を有たなければならない。心理学的には表象[#「表象」に傍点]と考えられる処の、論理学に於ける所謂概念――論理学的概念――が之であるであろう。この種類の概念は常に論理的構成に於て発生するであろう。その最も純粋なるものが形式論理学乃至数学に於ける概念[#「概念」に傍点]に外ならない。事実このように理論的に構成された概念は人々によって抽象的[#「抽象的」に傍点]と呼ばれているであろう。私は嘗て把握的概念――それは性格的概念を指す――をこの構成的概念から区別した*。
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* 『思想』八〇号「空間概念の分析」〔本全集第一巻所収〕参照。
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例えば数論に於けるイデアールとか、又電子とかは、主として非性格的概念として現われる。之に反して茶碗とか国家とかは主として性格的概念として現われるであろう。少くとも数論自身の内に於てはイデアールは性格をもつことは出来ない、その本質[#「本質」に傍点]が一義的に決定されている。尤もイデアールの哲学的解釈は恐らく性格的であることが出来るであろう、――茲に非性格的概念は性格的概念に変化し得ることが示される。従って又非性格的事物は性格的事物へ変化することが出来る。或る一つの概念は場合々々によって性格的概念とも非性格的概念ともなることが出来るのである。性格的と非性格的との区別には元来明白な限界[#「限界」に傍点]はない、何となれば両者の区別自身が性格的[#「性格的」に傍点]であるのであるから――前を見よ。同じく、物理学乃至化学自身の内に於ては電子概
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