ニいう――機能を有つ時、それが、科学の大衆性の第二[#「第二」に傍点]の規定となる。――もし或る科学が、大衆の半ば無自覚・無媒介に持つ意識をば解明し、之に科学的(理論的)根本性を与え、そうすることによってこの意識をば夫が向わねばならずにいた一定の焦点へ志向・集中せしめ、それと同時に、この焦点を尖端として逆にこの意識[#「意識」に傍点]内容一切を理論[#「理論」に傍点]にまで整理するならば、その科学こそは大衆性――第二の規定としての――を有つのである。未組織諸観念を理論にまで合目的的に整理することが、科学の今の大衆性であるだろう。かくして大衆の大衆的――階級的――意識水準[#「意識水準」に傍点]は高度となり、それが又逐次に夫に相当する理論水準[#「理論水準」に傍点]にまで翻訳される*。
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* 科学の大衆性が大衆の観念的組織化であればこそ、大衆化が大衆の前衛にまで及ぶ時、そこに例えば指導原理[#「指導原理」に傍点]が、科学的に而も大衆的に[#「科学的に而も大衆的に」に傍点]、樹立されることも出来る。もし大衆性が科学の普及化などであるならば、凡そ指導原理なるものはそれが大衆的であるだけそれだけ、却って科学的でなくなる筈である。
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第三に、大衆を組織化するものは大衆みずからであった、大衆を組織化するものは非大衆ではなかった。従って科学の大衆性を保証する者も亦大衆みずからでしかない。それ故に又実際に科学の大衆性を保証するためには、科学の研究方法[#「研究方法」に傍点]それ自身が大衆的[#「大衆的」に傍点]――組織化的[#「組織化的」に傍点]――でなければならないわけである。というのは、研究の内部的な手続きが体系化でなければならぬというのではない(夫は云うまでもなく必要である)、研究者自身が相互に――政治的に――組織化されざるを得ないと云うのである*。――この第三の規定は、科学大衆性の第一・第二の規定から来る至極当然な結果に過ぎない。
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* 座談会・読書会・研究会・研究所・等々が、大衆的科学の科学自身の性質[#「科学自身の性質」に傍点]から云って必然である所以は、茲にある。所謂教育[#「所謂教育」に傍点]――それは現在科学[#「科学」に傍点]と何等関係がないのにも拘らず
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