pって引き上げられた水準[#「引き上げられた水準」に傍点]をこそ意味して来るのだから。多衆は組織化されればされる程その水準を高める、その圧倒性が高められる所以である。かくて組織化されるものとしての多衆に於て、初めて、多衆概念のかの民主主義的矛盾は、実質的に――前の場合のように形式論的にではなく――止揚されることが出来る。だがこのようにしてその自己矛盾を解消された多衆概念は、それ自身もはや以前の――単なる[#「単なる」に傍点]――多衆を意味することは出来ない。多衆は組織化される、多の範疇[#「多の範疇」に傍点]は組織化される、この時もはや多[#「多」に傍点]の範疇は充分ではない、多衆の名称は性格的でなくなる。何故なら組織されたる[#「組織されたる」に傍点]ものが少数[#「少数」に傍点]であっても、それはなお多衆[#「多衆」に傍点]の組織であり得るのだから。多衆は従って今や、大衆[#「大衆」に傍点]とならねばならぬ。
このようなものが大衆[#「大衆」に傍点]の、大衆的な[#「大衆的な」に傍点]概念である。民主主義的多数[#「多数」に傍点]の概念を之が如何に止揚したかを、吾々は今見た。
大衆のこのような概念――組織化されたる又は組織化されるべき多衆――はまだ、併しながら至極一般的な規定をしか持たない。この概念を必要な程度に分析的に完備するためには、更に決定すべき積分常数がなお残されている。組織化[#「組織化」に傍点]こそ夫である。この常数を決定するためには併しながら、吾々は、歴史社会的――政治的――条件を借りる外はあるまい(大衆とは政治的なるものであった――初めを見よ)。今大衆をばこの点まで決定するならば(そして之が最後の決定とはならないまでも)、大衆とは就中、一つの階級[#「階級」に傍点]を事実上意味して来ないわけには行かない。何故なら多衆とは少数に対する処の、又大衆とは非大衆に対する処の、対立物であったが、そうすれば組織化多衆――大衆――なるものが、例えば一つの学派・社交界・聴衆等々を意味する理由も無ければ、そうかと云って又、国民・国家・民族等々を意味することも喰い違ったことであろう、から。大衆とは――この集団とは――階級の一つである、このことは単純に一個の事実に過ぎない。――それ故、多衆を大衆にまで組織化すとは、之を一つの階級にまで組織することの外ではない、組
前へ
次へ
全134ページ中119ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング