問題となるに価するだけの積極的な価値の所有者でなければならない。そこでは大衆とは、単にその或る一面に於てのみではなくして凡ゆる点に於て優越な[#「凡ゆる点に於て優越な」に傍点]一つの勢力、を云い表わす言葉である。否そういう勢力を云い表わすためにこそ、この言葉が現在選ばれているのである。
大衆は併し他方、非大衆(反大衆)に対立[#「対立」に傍点]する処の一つの集団[#「集団」に傍点]を意味する*。従って今云ったことから、大衆は非大衆を優越する処の集団を意味しなければならない。大衆という言葉が現代に至って初めて重大さを持って来たその言葉の意味に於ける大衆はそうなのである。
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* 大衆は併し群衆[#「群衆」に傍点]とか公衆[#「公衆」に傍点]とかいう集団では無論ない(群衆と公衆との区別に就いてはタルドの≪L'opinion et la foule≫を見よ)。蓋し大衆とは政治的[#「政治的」に傍点]概念であって、このような社会学的[#「社会学的」に傍点]概念にはぞくさない。――社会学的とは、主として、歴史的・実践的・従って又政治的・原理[#「原理」に傍点]――単に歴史的事実[#「事実」に傍点]ではない――の排除を意味する。
[#ここで字下げ終わり]
大衆は政治的概念だと言った。そこで政治の技術に関する一つの概念として人々は多数[#「多数」に傍点]の概念を有つであろう。実際、大衆は多衆[#「多衆」に傍点]の概念に引き合わされるのを常とする。
単純に少数なるものは到底大衆ではあり得ないように見える。その限り、大衆は或る意味に於ける[#「或る意味に於ける」に傍点]多衆でなければならないようである。多衆とは無論一つの量[#「量」に傍点]的規定ではあるが、之は併し実際は、比較上[#「比較上」に傍点]の多少・程度の差[#「程度の差」に傍点]を云い表わすものではなくして、ただそれの大量性が、そのものの質[#「質」に傍点]を固有に決定する時にのみ、初めて多衆は所謂多衆となることが出来る。単に多数であるのではなくして、多数であるが故に特に一定の性質を有たされた限りの多数こそ、多衆の多衆たる所以を示すことが出来る。かくて多衆は常に、一つの質[#「質」に傍点]的規定にまで既に転化しているのが事実である。そこで人々は多衆のこの質を、性質を、如何に性格
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