、夫々、理論に於ける一定の真理形態と虚偽形態として、反映する。歴史社会的存在――之こそ優越なる意味の存在である――は、政治的に、一定の論理形態を、即ち真理と虚偽との一定形態の関係を、決定するものである。注意すべきは、単に、理論乃至科学が歴史社会的存在であると云うだけではない。それは何か文化社会学乃至知識社会学の問題ででもあろう。又その真理内容の単に個々の場合々々が夫々の仕方に於て歴史社会的に制約され得ると云うだけでもない。そうではなくして真理の一定形態と虚偽の一定形態とが、不離に結び付いた一定の論理形態として、原理的に――偶然にではなく――歴史社会的制約を受けるというのである。性格的理論の個々の論理内容の一定群が、単に夫々の仕方に於て政治的制約を有つばかりではなく、それらが一定の論理形態に必然的にぞくする限りの[#「一定の論理形態に必然的にぞくする限りの」に傍点]個々の論理内容として、政治的に制約されると云うのである。そして更に注意すべきは、論理のこの政治的性格が、論理的[#「論理的」に傍点]なる内容の資格に於て活動するのであって、論理外の勢力として論理の外部から働きかけるのではない、という点である。もし政治的価値[#「政治的価値」に傍点]という言葉があるならば、政治的価値の最も代表的なるものと、論理的価値[#「論理的価値」に傍点]の最も現実的なるものとは、一つであるのである。実際、論理又理論が、常に批判的・止揚的であるのをその最も特有な生命とすることは、人々が一般に承認する処であろう。論理的なるものを審美的なるものに比較するならば、このことは明らかであるであろうから。処が歴史的社会の歴史的運動こそ、正に批判的・止揚的であるであろう。この運動はそして政治的なるものによって最も優越に段階づけられた。――それであるから今や、人々は例えば次のような紋切型の質疑を口にすべきではない。単に歴史的事実にしか過ぎない歴史的必然性[#「歴史的必然性」に傍点]から、如何にして凡そ価値[#「価値」に傍点]にぞくするもの――真理・自由等々――の規定を引き出し得るか、と。蓋し人々によれば、歴史的なるものは単に偶然的にしか過ぎず、価値的なるものは之に反して本質的・永遠的であると考えられる。存在の偶然が妥当乃至当為の永遠性に干渉することは、許すべからざる冒涜であるかのようである。処が実は、少く
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