謂人間的なるものから、吾々の性格概念を自由にしなければならない。併しそれにも拘らず性格は――云わば理論的に――人間的である。も一遍云おう。性格は通路を用意している点に於て一つの人間的概念である。――処で併しかの個性の概念は或る意味に於て人間的な概念で矢張りありながら、このような理論的に考えられる通路を用意しているとは思われない。個性の概念はそれ自身に個性の理解乃至取り扱いの概念を伴わない、それは例えば知識学[#「知識学」に傍点]的に取り扱われることの出来ない概念であろう**。性格は恰も之に反して、常に知識学的な又は多少の注意を怠らずに言葉を使用するとして認識論的な、課題を含んでいる。性格概念はこの意味に於て人間的[#「人間的」に傍点]概念であり、知識学的通路[#「通路」に傍点]を用意している。
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* 性格の概念を人格的なるものから芸術的なるものへ移したものは、テオフラストスであろう。
** ライプニツのモナドは表象の能力を有っている。併しかかる能力は形而上学的実在の規定であって、知識学的な通路を意味するものではない。
[#ここで字下げ終わり]
 性格は個別化原理から完全に独立であり、そして通路を有っている。私はこの二つの点を指摘して個性概念との混同を防いでおこう。
 さて併し性格とは何か。
 日常吾々が接する具象的な事物は恐らく無限な数の性質を持っているであろう。事物はこれ等の性質の統一としてある。夫々の性質はそれに特有な作用の範囲を与えられている。というのは或る性質は顕著であり之に反して他の性質は著しくない、と考えられる。事物が含む云わば一〇〇の内容を、夫々の性質は幾つかずつ分け占めていると考えられる。かくて例えば神は全知全能という特質によってその内容の大部分を分け占められると考えられる。併し或る事物に就いて何が顕著であり何が顕著でないかは決して事物それ自身だけによって決定され得ることではない。或る視角から視れば甲性質が又他の視角から視れば乙性質が顕著なものとして現われる。他の事物には無くただその事物にしか見出されないような或る性質は――たといそれが微弱であっても――顕著となることが出来、強大な性質であっても、それが多くの事物と共通であるならば顕著でないと考えられることが出来る。又事物の某性質――それが強大であろうと微弱で
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