正に一つの物自体[#「物自体」に傍点]――之こそ言葉通りの事物の本質ではないか――概念に帰着する処に特色をもつ。Aなる物それ自身――物の本質――は苟くもそれ自身であって現象[#「現象」に傍点]でない限り、αとしてもβとしても現われることを許されない筈ではないか。処で性格概念は恰もこの点に於て本質概念と根本的に異っている。性格――それは与えられた刻印であった――は常に、人々にとって[#「人々にとって」に傍点]、αとして或いは又βとして現われ得るのでなければならない。性格は之を与える人々への関係を、その結局のテロスに於ても脱却しない処に、特色を有つ。刻印は常に与え[#「与え」に傍点]られるべきものであろう。本質概念の目的は――理念は――人々への関係を切り離す処に、之に反して性格概念の目的は之を最後まで持ち続ける処に、夫々の面目を現わしている。性格は人々への関係[#「人々への関係」に傍点]を含むことによってのみ成立する概念である。刻印――それは与え[#「与え」に傍点]られる――の概念が恰も之を注意せしめるであろう。
性格はそれみずからに人々への関係を含んでいる。それは人々と事物とを媒介することが出来る。事物は之によって人々にとって通達し得るものとなる、性格は通路[#「通路」に傍点]を有つ。もし本質であるならば人々がそれへ通達するためには何か本質以外のものに頼らなければならないであろう、例えば現象がそれであるであろう。性格は之に反してみずから通路を用意している。人々は性格を性格に於て知ることが出来る。事実、事物の性格は之を理解する人々の性格に相関的でなければならない――後を見よ。それであればこそ性格の概念は第一に人々の――人間の――性格を示すものとして語られる理由があり、吾々が今又それを更に事物に就いてまで拡張して語ることが出来る所以があるのである*。性格を一つの人間的[#「人間的」に傍点]な概念と呼ぶことは誤りではないであろう。尤も何か他の関心から動機せられて人間的と呼ばれるのではない、例えば浪漫的な興奮や道義的な謹厳さからそう呼ばれるのではない。ただ理論的に云ってそれが人々にとっての通路を用意しているからなのである。個性――それは結局個人[#「個人」に傍点]概念から離脱することが出来ない――の概念から性格の概念を区別した吾々は、個性的なるものとして普通掲げられる処の所
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