nをのみ理解しなければならないのである。このことは絶対に原理的である。
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* 事物は理論的に抽象されることによって形式と内容とに分割されることが出来る。この抽象とその抽象力なくしては、事物の真の意味に於ける分析は不可能となるであろう。併し最も注意すべきは、この場合、形式と内容とが必ず相互の連帯性[#「連帯性」に傍点]に於て分析されることを条件としなければならない、という点である。形式が形式であり、即ち内容に先立って独立し得る原理であるという理由から、もし形式が、往々そうされるように、独立に内容への連帯に関わることなく分析されるならば、その限りの形式に対しては、内容は全く任意に・偶然に・無関係な素材として・外部的に・付加されるに過ぎない。かかる形式とかかる内容との所謂総合[#「総合」に傍点]――之が単なる総和ではなくして正に具体的な総合と思われているからこそ問題なのであるが――は、もはや最初の具体的事物とは全く別である。この事物の具体性が分析に際して形式と内容との連帯性として働かない時、その分析は虚偽としての抽象となる。
[#ここで字下げ終わり]
吾々が真理概念を観念的に[#「観念的に」に傍点]理解する代りに之を現実的に[#「現実的に」に傍点]理解するならば、真理という言葉を口にする時吾々は必ず真理内容――真理の特殊的現実的内容――を理解すべき義務がある。もしそうしなければ吾々は無用な空想を以て満足し或いは又苦しむことになるであろうから。さてこのような真理概念であってこそ、初めて虚偽[#「虚偽」に傍点]と現実的に[#「現実的に」に傍点]対立することが出来る。凡そ一方で一定の虚偽を心に置いているのでなければ、真理の内容は現実的に把握出来ないであろう。何となれば真理が最も熱烈・執拗に要求されるのは外ではない、この虚偽を克服しようと欲する場合なのであるから。真理にとっては虚偽の問題[#「虚偽の問題」に傍点]が――真理の理念の問題がでない――最も重大と考えられる。虚偽をして虚偽たらしめるもの、それはやがて取りも直さず、真理をして真理たらしめるものではないか。現実の真理にとっては、真理と共に常に虚偽[#「虚偽」に傍点]――単に誤謬[#「誤謬」に傍点]ではない(初めを見よ)が問題となる。真理内容としての真理は、形式的な真理概念とは異って
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