ウれる。それ故無内容と考えられていた理念真理は、茲に至って実は、現実内容の内容性・現実性を否定し得るような一種の内容――無内容という内容――を持っていたことが暴露されるであろう。理念を無内容と見せかけて置き乍ら、その無内容自身がひそかに積極的な内容――形式の独立性――を主張するのである。人々は普通、理念に一定内容を予め入れてかかるのをその実体化・絶対化と呼んで警戒するが、今のように之を無内容化するこそ又一つの実体化・絶対化であることを注意すべきである。形式的に規定したものへ、後から内容を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入すれば、一向誤りはなさそうに、普通漫然と考えられるのであるが、形式的に規定するということが、形式的原理に則る――真理理念の場合が之であった――ことであるならば、そこには原理的に、現実内容の排斥が伴う外はない。であるから形式を原理として、即ち之を理論の出発又は帰着すべき立場として、現実内容に対する理論を構成しようとするならば、そのような理論は初めから現実内容に対して虚偽でなければならないのである。形式的原理によって事物の現実的・内容的・原理を蔽おうとするこの最も頻繁なる虚偽は、形式主義[#「形式主義」に傍点]と呼ばれている*。それであるから、真理の理念をば、真理概念の分析的理論の原理・出発点・立場となし、その理論の原動力であるかのように第一のテーマとして先頭に押し立てるならば、元来無力[#「無力」に傍点]であるべきであった理念としての真理概念は、その形式主義故に、今や有害[#「有害」に傍点]とさえなるであろう。――さて前に、全般[#「全般」に傍点]真理と考えられたものが、このような真理形式[#「形式」に傍点]――理念――であり、部分真理[#「真理」に傍点]と呼ばれたものが之に反して今の真理内容[#「内容」に傍点]であった。前者は一般的形式のもつ形式的原理にぞくし、後者は特殊的現実内容のもつ内容的原理にぞくする。そして前者は、現実内容を内容的に取り扱おうとする一切の理論にとって、元来無力であり、且つ時に有害でさえあった、それを吾々は見て来た。故に吾々は、代表的真理の概念の下に、普通そうされるように真理の理念[#「真理の理念」に傍点]を理解すべきではなく、却って常に例外なく、何等か特殊な真理内容[#「真理内容」に傍点
前へ 次へ
全134ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング