しても科学主義という言葉は、すでに立ちおくれのした受身のものの吐く言葉のようだ。なぜと云うに、之は文学主義という非難の言葉に対する善後策として出て来たもので、私なども数年前から文学主義の指摘を続けているが、最近になってやっとその善後策としての科学主義という買い言葉が通用し始めるようになった。
 元来文学主義と云うカテゴリーは、批判主義とか実証主義とかいうカテゴリー見たいな意味では、之まで存在しなかったのである。ゴーリキーの文学論の中などに一二ヵ処出ているようだが、その意味はごく一通りのもので、単に文学至上化や文学絶対化というようなことを指すに過ぎないらしい。だからこそ之は批判のレッテルとしては新鮮なのだ。処が、之に対抗する科学主義というレッテルは、それ自身少し寝呆けた言葉であるばかりでなく、そういう言葉自身が近代思想史の内にすでになくはないものだ。例えばル・ダンテク(二十世紀の生物学者である)のシャンティスムなどがそれで、而もこのシャンティスムは云わば十八世紀や又寧ろ十九世紀の俗流唯物論に甚だ近いものだから、現在の文学主義に対抗する野次としては間が抜けているのであるが、併しそれだけでは
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