主義がなぜわるいかと反問されたら、急に目を白黒させる他ないのが当然だろう。
かつては公式主義という鞭の言葉には慥かに或る真実があった。だが今日ではそんなものは事実あまり存在していないのだから、丁度科学偏重とか軽佻浮薄な思想とかいうような今日の支配者の用語が無内容で滑稽なように、今日では無内容で滑稽なものになっているのだが、それにさえ気づかずに公式主義公式主義とわめき散らしているのは、性格薄弱の症状と見られても仕方があるまい。私や私に似たような連中を、公式主義と呼ぶ人間も少なくないが、実はそう呼ぶ方を少し気の毒なような気がしないでもない。もう少し気の利いたレッテル位い考案出来ないものだろうかと、はがゆいのだ。
併しなぜ公式主義という言葉をそんなに重宝がるのだろうか、と云うと夫は要するに公式恐怖症から来るものだが、それはあとにしよう。公式主義という言葉より、もう少し役に立ちそうに見えるのは科学主義と云うレッテルである。今に科学主義という言葉が公式主義の代理をするようになるだろうと私は見ている。だがそうなると問題はもっとハッキリして来て、相手方の気の毒は一しお増して来るのであるが、それに
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