ステムとの意義は重い。独り科学だけに科学的な精神が必要なのではないのである。
教養という問題が最近注目されている。文学者と教養とか学生と教養とかいう風に云われている。思想という言葉に魅力がなくなったので、今度は教養ということになったのかも知れない。思想的なアクセントを抜きにして、思想傾向とは独立と思われるらしい教養というものを持ち出して、もっとヒューマニズム的な気分を出す心算もあるかも知れない。だが教養とシステムとは切っても切れない関係に立っている。教養は勿論ただの教養効果や知識所有量や又お品の好さと一つではない。教養という観念を人格者論式に見ることも不充分であると共に、之をアカデミー主義から見ることも不充分だ。ただ修養したり又ただ勉強したりしたって教養にはならぬ。教養には見識のシステムがあって、それが事毎に発動して肥えて行くということがなくてはならぬ。そしてシステムの発動にはいつも公式というものが陰に陽に必要なのである。あれも之も知っているということは、花嫁の嫁入資格ではあっても、教養とは関係が無い。知識相互の間にカテゴリーの上での統一がなくてはならぬ。アカデミーにはアカデミー特有
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