である。こういう患者が公式フォビヤとなるのは、臨床的に研究済みのようなものであろう。
公式の価値はその科学的機能に存する。最も簡単な例は化学分析である。定性分析と定量分析には一定の公式があって、この公式の組織を使って最も的確に分析を決定することが出来る。与えられた一塊の鉱物を鑑定する場合にも一定の既知の公式がある。この公式で切断して行った結果、鉱物は限定され決定される。公式は大体に於て交叉による現物を限定する。丁度製図のようなものだ。
だがこの機能は決して科学や自然科学だけに特有なものではない。一切の思想も亦、この交叉によって進展する。思想の前進・着想・科学的想像力、どれもが大体このクロッシングの所産であることを注意しなければならぬが、こういう思想の労作なしには、一片の文芸も不可能なのだ。文学はよく云われるような思想のただの表現や血肉化や風俗化ではない。思想そのものを押し進め限定することが文学の第一課題なのである。之を仮にも文学以前などと称する者は、みずから文学への絶望を表白するものでしかあるまい。この思想の労作に思想の科学性があり、思想の価値があるのであって、そうでない思想は思
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