想ではなくてただの固定観念にすぎない。そんな観念は邪魔にこそなれ何の価値もないものだ。こういう観念をしか思想と考えない文学は、思想を邪魔にして創作の障害と考える権利を有つだろう。
 だから考えて来ると、文学にとっても、それによって思想の開拓が試みられる限り(そうでない文学は作者の楽屋裏では意義があっても大衆のものではない)、科学的公式が不可欠な要素でなくてはならぬ。この公式のクロッシングによって限定裁断するのでなければ、作品のテーマらしいものも生まれはしない。題材や話題が文学的なテーマではない。テーマは思想的な課題を意味するものだろう。作品はその課題の人種実験的な解決のようなものである。
 公式の持つ科学的機能を、体系(システム)と名づけてもよい。システムにも色々あるが、一般に体系的なものは科学的[#「科学的」に傍点]と仮称されている。体系は時によって目茶なものも不可能ではないから、何でも体系的であれば科学的だと考えることは危険極りないことで、だからして特に社会科学や何かに於ては(元来の意味に於ける実験が不可能なものだから)、相当に考え抜かれた、而し出鱈目なシステムが、みずから科学的と
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