謙遜がなければならぬ。彼らの中には維新志士の腰について、多少先輩当年の苦心を知っている人もあるはず。よくは知らぬが、明治の初年に近時評論などで大分政府に窘《いじ》められた経験がある閣臣もいるはず。窘められた嫁が姑《しゅうとめ》になってまた嫁を窘める。古今同嘆である。当局者は初心を点検して、書生にならねばならぬ。彼らは幸徳らの事に関しては自信によって涯分を尽したと弁疏するかも知れぬ。冷《ひやや》かな歴史の眼から見れば、彼らは無政府主義者を殺して、かえって局面開展の地を作った一種の恩人とも見られよう。吉田に対する井伊をやったつもりでいるかも知れぬ。しかしながら徳川の末年でもあることか、白日青天、明治|昇平《しょうへい》の四十四年に十二名という陛下の赤子、しかのみならず為《な》すところあるべき者どもを窘めぬいて激さして謀叛人に仕立てて、臆面もなく絞め殺した一事に到っては、政府は断じてこれが責任を負わねばならぬ。麻を着、灰を被《かぶ》って不明を陛下に謝し、国民に謝し、死んだ十二名に謝さなければならぬ。死ぬるが生きるのである、殺さるるとも殺してはならぬ、犠牲となるが奉仕の道である。――人格を重んぜねばならぬ。負わさるる名は何でもいい。事業の成績は必ずしも問うところでない。最後の審判は我々が最も奥深いものによって定まるのである。これを陛下に負わし奉るごときは、不忠不臣のはなはだしいものである。
諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。「身を殺して魂《たましい》を殺す能わざる者を恐るるなかれ」。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えらえたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸《ぬす》んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。古人はいうた、いかなる真理にも停滞するな、停滞すれば墓となると。人生は解脱の連続である。いかに愛着するところのものでも脱《ぬ》ぎ棄てねばならぬ時がある、それは形式残って生命去った時である。「死にし者は死にし者に葬らせ」墓は常に後にしなければならぬ。幸徳らは政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋《すが》りついてはならぬ。「もし爾《なんじ》の右眼爾を礙《つまず》かさば抽出《ぬきだ》してこれをすてよ」。愛別、離苦、打克たねばならぬ。我らは苦痛を忍んで解脱せねばならぬ。繰り返して曰《い》う、諸君、我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して。
諸君、幸徳君らは乱臣賊子となって絞台の露と消えた。その行動について不満があるとしても、誰か志士としてその動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊であった。しかし今日となって見れば、逆賊でないこと西郷のごとき者があるか。幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう。要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研《みが》くことを怠ってはならぬ。
底本:「日本の名随筆 別巻91 裁判」作品社
1998(平成10)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「謀叛論」岩波書店
1976(昭和51)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※『謀叛論』は、1911(明治44)年2月1日に、旧制第一高等学校で行われた講演の草稿である。底本の親本にあたる、『謀叛論』(岩波文庫)の編者、中野好夫によれば、草稿には、第一稿と思えるほぼ三分の二近くのもの、成案と思える第二稿、補遺と思われる断片二枚からなる第三稿の三種類がある。これらには、おびただしい推敲の筆が、隙間を埋め尽くすように加えられており、草稿に戻って『謀叛論』のテキストを吟味したという中野は、「別に新しく浄書稿でも発見されぬ限り、厳密な意味での定本は永久に不可能というのが正直なところではあるまいか」と述べている。岩波文庫版は、編者によって補われた欠落部分を〔 〕を用いて示し、底本はこの形式をそのまま引き継いでいる。青空文庫作成のテキスト本文では、この括弧は略し、該当部分を以下に掲げることとする。『謀叛論』がはじめて活字に起こされた『蘆花全集 第十九巻』(新潮社、1929(昭和4)年9月5日発行)の該当個所の記述も、あわせて示す。新潮社版には多くの伏せ字が見られ、以下のもの以外にも、岩波文庫版とは異なる点がある。
・井伊掃部頭直弼/井伊掃部〔頭〕直弼:底本/井伊掃部守直弼:初出
・いわゆる(二字不明)多《おおし》で、/いわゆる〔二字不明〕多《おおし》で、:底本/初出には、この箇所はなし。
・税関の隔てあり、/税関の隔てあ〔り〕、:底本/税関の墻《かき》を押立てて、:初出
・我らの政府は重いか軽いか分らぬが、/我らの政府は重いか軽いか〔分〕らぬが、:底本/我等の政府は重いか軽いか分らぬが、:初出
・殺してしまいたかったであろう。/殺してしまいたかっ〔た〕であろう。:底本/殺して了ひたかつたであらう。:初出
入力:加藤恭子
校正:小林繁雄
2001年3月27日公開
2006年1月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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