》たる余の十二名は天の恩寵によって立派に絞台の露と消えた。十二名――諸君、今一人、土佐で亡くなった多分自殺した幸徳の母君あるを忘れてはならぬ。
 かくのごとくして彼らは死んだ。死は彼らの成功である。パラドックスのようであるが、人事の法則、負くるが勝である、死ぬるが生きるのである。彼らはたしかにその自信があった。死の宣告を受けて法廷を出る時、彼らの或者が「万歳! 万歳!」と叫んだのは、その証拠である。彼らはかくして笑《えみ》を含んで死んだ。悪僧といわるる内山愚童の死顔《しにがお》は平和であった。かくして十二名の無政府主義者は死んだ。数えがたき無政府主義者の種子《たね》は蒔《ま》かれた。彼らは立派に犠牲の死を遂げた。しかしながら犠牲を造れるものは実に禍《わざわい》なるかな。
 諸君、我々の脈管には自然に勤王の血が流れている。僕は天皇陛下が大好きである。天皇陛下は剛健質実、実に日本男児の標本たる御方である。「とこしへに民安かれと祈るなる吾代《わがよ》を守れ伊勢の大神《おおかみ》」。その誠《まこと》は天に逼《せま》るというべきもの。「取る棹《さお》の心長くも漕《こ》ぎ寄せん蘆間小舟《あしまのおぶね》さはりありとも」。国家の元首として、堅実の向上心は、三十一文字に看取される。「浅緑り澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」。実に立派な御心《おんこころ》がけである。諸君、我らはこの天皇陛下を有《も》っていながら、たとえ親殺しの非望を企てた鬼子《きし》にもせよ、何故《なにゆえ》にその十二名だけ宥《ゆる》されて、余《よ》の十二名を殺してしまわなければならなかったか。陛下に仁慈の御心がなかったか。御愛憎があったか。断じて然《そう》ではない――たしかに輔弼《ほひつ》の責《せめ》である。もし陛下の御身近く忠義|※[#「魚+更」、第3水準1−94−42]骨《こうこつ》の臣があって、陛下の赤子《せきし》に差異はない、なにとぞ二十四名の者ども、罪の浅きも深きも一同に御宥し下されて、反省改悟の機会を御与え下されかしと、身を以て懇願する者があったならば、陛下も御頷《おんうなず》きになって、我らは十二名の革命家の墓を建てずに済《す》んだであろう。もしかような時にせめて山岡鉄舟がいたならば――鉄舟は忠勇無双の男、陛下が御若い時英気にまかせやたらに臣下を投げ飛ばしたり遊ばすのを憂《うれ》えて、ある時イヤというほど陛下を投げつけ手剛《てごわ》い意見を申上げたこともあった。もし木戸松菊がいたらば――明治の初年木戸は陛下の御前、三条、岩倉以下|卿相《けいしょう》列座の中で、面を正して陛下に向い、今後の日本は従来の日本と同じからず、すでに外国には君王を廃して共和政治を布《し》きたる国も候、よくよく御注意遊ばさるべくと凜然《りんぜん》として言上《ごんじょう》し、陛下も悚然《しょうぜん》として御容《おんかたち》をあらため、列座の卿相皆色を失ったということである。せめて元田宮中顧問官でも生きていたらばと思う。元田は真に陛下を敬愛し、君を堯《ぎょう》舜《しゅん》に致すを畢生《ひっせい》の精神としていた。せめて伊藤さんでも生きていたら。――否《いな》、もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下は御考《おかんがえ》があったかも知れぬ。皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふるゝ川水《かわみず》の心や民の心なるらむ」。陛下の御歌は実に為政者の金誡である。「浅しとてせけばあふるゝ」せけばあふるる、実にその通りである。もし当局者が無暗《むやみ》に堰《せ》かなかったならば、数年前の日比谷焼打事件はなかったであろう。もし政府が神経質で依怙地《えこじ》になって社会主義者を堰かなかったならば、今度の事件も無かったであろう。しかしながら不幸にして皇后陛下は沼津に御出になり、物の役に立つべき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらり頭を駢《なら》べている連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する忠臣もなく、あたら君徳を輔佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇《せんざいいちぐう》の大切なる機会を見す見す看過し、国家百年の大計からいえば眼前十二名の無政府主義者を殺して将来永く無数の無政府主義者を生むべき種を播いてしもうた。忠義立《ちゅうぎだて》として謀叛人十二名を殺した閣臣こそ真に不忠不義の臣で、不臣の罪で殺された十二名はかえって死を以て我皇室に前途を警告し奉った真忠臣となってしもうた。忠君忠義――忠義顔する者は夥《おびただ》しいが、進退伺《しんたいうかがい》を出して恐懼《きょうく》恐懼《きょうく》と米つきばったの真似をする者はあるが、御歌所に干渉して朝鮮人に愛想をふりまく悧口者はあるが、どこに陛下の人格を敬愛してますます徳に進ませ玉うように希《こいねが》う真の忠臣があるか。どこに不忠の嫌疑を冒《おか》しても陛下を諫《いさ》め奉り陛下をして敵を愛し不孝の者を宥《ゆる》し玉う仁君となし奉らねば已《や》まぬ忠臣があるか。諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難《いろかたし》。有事弟子服其労《ことあればていしそのろうにふくし》、有酒食先生饌《しゅしあればせんせいにせんす》、曾以是為孝乎《すなわちこれをもってこうとなさんや》。行儀の好いのが孝ではない。また曰《い》うた、今之孝者是謂能養《いまのこうはこれよくやしのうをいう》、至犬馬皆能有養《けんばにいたるまでみなよくやしのうあり》、不敬何以別乎《けいせざればなにをもってかわかたん》。体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。玉体ばかり大切する者が真の忠臣であろうか。もし玉体大事が第一の忠臣なら、侍医と大膳職と皇宮警手とが大忠臣でなくてはならぬ。今度の事のごときこそ真忠臣が禍《わざわい》を転じて福となすべき千金の機会である。列国も見ている。日本にも無政府党が出て来た。恐ろしい企をした、西洋では皆打殺す、日本では寛仁大度《かんじんたいど》の皇帝陛下がことごとく罪を宥《ゆる》して反省の機会を与えられた――といえば、いささか面目が立つではないか。皇室を民の心腹に打込むのも、かような機会はまたと得られぬ。しかるに彼ら閣臣の輩《やから》は事前《じぜん》にその企を萌《きざ》すに由《よし》なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たりや応と引括《ひっくく》って、二進《にっちん》の一十《いんじゅう》、二進の一十、二進の一十で綺麗に二等分して――もし二十五人であったら十二人半|宛《ずつ》にしたかも知れぬ、――二等分して、格別物にもなりそうもない足の方だけ死一等を減じて牢屋に追込み、手硬《てごわ》い頭だけ絞殺して地下に追いやり、あっぱれ恩威|並《ならび》行われて候と陛下を小楯《こだて》に五千万の見物に向って気どった見得《みえ》は、何という醜態であるか。啻《ただ》に政府ばかりでない、議会をはじめ誰も彼も皆大逆の名に恐れをして一人として聖明のために弊事《へいじ》を除かんとする者もない。出家僧侶、宗教家などには、一人位は逆徒の命乞《いのちごい》する者があって宜いではないか。しかるに管下の末寺から逆徒が出たといっては、大狼狽《だいろうばい》で破門したり僧籍を剥いだり、恐れ入り奉るとは上書しても、御慈悲と一句書いたものがないとは、何という情ないことか。幸徳らの死に関しては、我々五千万人|斉《ひと》しくその責《せめ》を負わねばならぬ。しかしもっとも責むべきは当局者である。総じて幸徳らに対する政府の遣口《やりくち》は、最初から蛇の蛙を狙う様で、随分陰険冷酷を極めたものである。網を張っておいて、鳥を追立て、引《ひっ》かかるが最期網をしめる、陥穽《おとしあな》を掘っておいて、その方にじりじり追いやって、落ちるとすぐ蓋《ふた》をする。彼らは国家のためにするつもりかも知れぬが、天の眼からは正しく謀殺――謀殺だ。それに公開の裁判でもすることか、風紀を名として何もかも暗中《あんちゅう》にやってのけて――諸君、議会における花井弁護士の言を記臆せよ、大逆事件の審判中当路の大臣は一人もただの一度も傍聴に来なかったのである――死の判決で国民を嚇《おど》して、十二名の恩赦でちょっと機嫌を取って、余の十二名はほとんど不意打の死刑――否《いな》、死刑ではない、暗殺――暗殺である。せめて死骸になったら一滴の涙位は持っても宜《よ》いではないか。それにあの執念な追窮しざまはどうだ。死骸の引取り、会葬者の数にも干渉する。秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、死体の解剖すら大学ではさせぬ。できることならさぞ十二人の霊魂も殺してしまいたかったであろう。否《いな》、幸徳らの躰を殺して無政府主義を殺し得たつもりでいる。彼ら当局者は無神無霊魂の信者で、無神無霊魂を標榜《ひょうぼう》した幸徳らこそ真の永生《えいせい》の信者である。しかし当局者も全《まった》く無霊魂を信じきれぬと見える、彼らも幽霊が恐いと見える、死後の干渉を見ればわかる。恐いはずである。幸徳らは死ぬるどころか活溌溌地に生きている。現に武蔵野の片隅に寝ていたかくいう僕を曳きずって来て、ここに永生不滅の証拠を見せている。死んだ者も恐ければ、生きた者も恐い。死減一等の連中を地方監獄に送る途中警護の仰山《ぎょうさん》さ、始終短銃を囚徒の頭に差つけるなぞ、――その恐がりようもあまりひどいではないか。幸徳らはさぞ笑っているであろう。何十万の陸軍、何万トンの海軍、幾万の警察力を擁する堂々たる明治政府を以てして、数うるほどもない、しかも手も足も出ぬ者どもに対する怖《おび》えようもはなはだしいではないか。人間弱味がなければ滅多《めった》に恐がるものでない。幸徳ら瞑《めい》すべし。政府が君らを締め殺したその前後の遽《あわ》てざまに、政府の、否《いな》、君らがいわゆる権力階級の鼎《かなえ》の軽重は分明に暴露されてしもうた。
 こんな事になるのも、国政の要路に当る者に博大なる理想もなく、信念もなく人情に立つことを知らず、人格を敬することを知らず、謙虚忠言を聞く度量もなく、月日とともに進む向上の心もなく、傲慢にしてはなはだしく時勢に後れたるの致すところである。諸君、我らは決して不公平ではならぬ。当局者の苦心はもとより察せねばならぬ。地位は人を縛り、歳月は人を老いしむるものである。廟堂の諸君も昔は若かった、書生であった、今は老成人である。残念ながら御《お》ふるい。切棄《きりす》てても思想は※[#「白+激のつくり」、第3水準1−88−68]々《きょうきょう》たり。白日の下に駒を駛《は》せて、政治は馬上提灯の覚束《おぼつか》ないあかりにほくほく瘠馬《やせうま》を歩ませて行くというのが古来の通則である。廟堂の諸君は頭の禿げた政治家である。いわゆる責任ある地位に立って、慎重なる態度を以て国政を執《と》る方々である。当路に立てば処士横議《しょしおうぎ》はたしかに厄介なものであろう。仕事をするには邪魔も払いたくなるはず。統一統一と目ざす鼻先に、謀叛の禁物は知れたことである。老人の※[#「匈/月」、53−8]《むね》には、花火線香も爆烈弾の響《ひびき》がするかも知れぬ。天下泰平は無論結構である。共同一致は美徳である。斉一統一《せいいつとういつ》は美観である。小学校の運動会に小さな手足の揃《そろ》うすら心地好いものである。「一方に靡《なび》きそろひて花すゝき、風吹く時そ乱れざりける」で、事ある時などに国民の足並の綺麗に揃うのは、まことに余所目《よそめ》立派なものであろう。しかしながら当局者はよく記臆せなければならぬ、強制的の一致は自由を殺す、自由を殺すはすなわち生命を殺すのである。今度の事件でも彼らは始終皇室のため国家のためと思ったであろう。しかしながらその結果は皇室に禍《わざわい》し、無政府主義者を殺し得ずしてかえって夥《おびただ》しい騒擾の種子を蒔いた。諸君は謀叛人を容《い》るるの度量と、青書生に聴くの
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング