忠臣があるか。どこに不忠の嫌疑を冒《おか》しても陛下を諫《いさ》め奉り陛下をして敵を愛し不孝の者を宥《ゆる》し玉う仁君となし奉らねば已《や》まぬ忠臣があるか。諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難《いろかたし》。有事弟子服其労《ことあればていしそのろうにふくし》、有酒食先生饌《しゅしあればせんせいにせんす》、曾以是為孝乎《すなわちこれをもってこうとなさんや》。行儀の好いのが孝ではない。また曰《い》うた、今之孝者是謂能養《いまのこうはこれよくやしのうをいう》、至犬馬皆能有養《けんばにいたるまでみなよくやしのうあり》、不敬何以別乎《けいせざればなにをもってかわかたん》。体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。玉体ばかり大切する者が真の忠臣であろうか。もし玉体大事が第一の忠臣なら、侍医と大膳職と皇宮警手とが大忠臣でなくてはならぬ。今度の事のごときこそ真忠臣が禍《わざわい》を転じて福となすべき千金の機会である。列国も見ている。日本にも無政府党が出て来た。恐ろしい企をした、西洋では皆打殺す、日本では寛仁大度《かんじんたいど》の皇
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