イヤというほど陛下を投げつけ手剛《てごわ》い意見を申上げたこともあった。もし木戸松菊がいたらば――明治の初年木戸は陛下の御前、三条、岩倉以下|卿相《けいしょう》列座の中で、面を正して陛下に向い、今後の日本は従来の日本と同じからず、すでに外国には君王を廃して共和政治を布《し》きたる国も候、よくよく御注意遊ばさるべくと凜然《りんぜん》として言上《ごんじょう》し、陛下も悚然《しょうぜん》として御容《おんかたち》をあらため、列座の卿相皆色を失ったということである。せめて元田宮中顧問官でも生きていたらばと思う。元田は真に陛下を敬愛し、君を堯《ぎょう》舜《しゅん》に致すを畢生《ひっせい》の精神としていた。せめて伊藤さんでも生きていたら。――否《いな》、もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下は御考《おかんがえ》があったかも知れぬ。皇后陛下は実に聡明恐れ入った御方である。「浅しとてせけばあふるゝ川水《かわみず》の心や民の心なるらむ」。陛下の御歌は実に為政者の金誡である。「浅しとてせけばあふるゝ」せけばあふるる、実にその通りである。もし当局者が無暗《むやみ》に堰《せ》かなかったならば、数年前
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