してしまって谷|一重《ひとえ》のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼から見れば、松陰はもとより醇乎《じゅんこ》として醇なる志士の典型、井伊も幕末の重荷を背負って立った剛骨《ごうこつ》の好男児、朝に立ち野に分れて斬るの殺すのと騒いだ彼らも、五十年後の今日から歴史の背景に照らして見れば、畢竟《ひっきょう》今日の日本を造《つく》り出さんがために、反対の方向から相槌《あいづち》を打ったに過ぎぬ。彼らは各々その位置に立ち自信に立って、するだけの事を存分にして土に入り、余沢を明治の今日に享《う》くる百姓らは、さりげなくその墓の近所で悠々と麦のサクを切っている。
諸君、明治に生れた我々は五六十年前の窮屈千万な社会を知らぬ。この小さな日本を六十幾つに劃《しき》って、ちょっと隣へ往くにも関所があり、税関があり、人間と人間の間には階級があり格式があり分限《ぶんげん》があり、法度《はっと》でしばって、習慣で固めて、いやしくも新しいものは皆禁制、新しい事をするものは皆|謀叛人《むほんにん》であった時代を想像して御覧なさい。実にたまったものではないではないか。幸《さいわい》に世界を流るる一の大潮
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