入ったとのたまいしも、添って見てげにと思い当たりぬ。鷹揚《おうよう》にして男らしく、さっぱりとして情け深く寸分|鄙吝《いや》しい所なき、本当に若いおとうさまのそばにいるような、そういえば肩を揺すってドシドシお歩きなさる様子、子供のような笑い声までおとうさまにそっくり、ああうれしいと浪子は一心にかしずけば、武男も初めて持ちし妻というものの限りなくかわゆく、独子《ひとりご》の身は妹まで添えて得たらん心地《ここち》して「浪さん、浪さん」といたわりつ。まだ三月に足らぬ契りも、過ぐる世より相知れるように親しめば、しばしの別離《わかれ》もかれこれともに限りなき傷心の種子《たね》とはなりけるなり。さりながら浪子は永《なが》く別離《わかれ》を傷《いた》む暇なかりき。武男が出発せし後ほどもなく姑が持病のリュウマチスはげしく起こりて例の癇癪《かんしゃく》のはなはだしく、幾を実家《さと》へ戻せし後は、別して辛抱の力をためす機会も多かりし。
 新入の学生、その当座は故参のためにさんざんにいじめられるれど、のちにはおのれ故参になりて、あとの新入生をいじめるが、何よりの楽しみなりと書きし人もありき。綿帽子|脱《と》っての心細さ、たよりなさを覚えているほどの姑、義理にも嫁をいじめられるものでなけれど、そこは凡夫《ぼんぷ》のあさましく、花嫁の花落ちて、姑と名がつけば、さて手ごろの嫁は来るなり、わがままも出て、いつのまにかわがつい先年まで大の大の大きらいなりし姑そのままとなるものなり。「それそれその衽《おくみ》は四寸にしてこう返して、イイエそうじゃありません、こっちよこしなさい、二十歳《はたち》にもなッて、お嫁さまもよくできた、へへへへ」とあざ笑う声から目つき、われも二十《はたち》の花嫁の時ちょうどそうしてしかられしが、ああわれながら恐ろしいとはッと思って改むるほどの姑はまだ上の上、目にて目を償い、歯にて歯を償い、いわゆる江戸の姑のその敵《かたき》を長崎の嫁で討《う》って、知らず知らず平均をわが一代のうちに求むるもの少なからぬが世の中。浪子の姑もまたその一人《ひとり》なりき。
 西洋流の継母に鍛われて、今また昔風の姑に練《ね》らるる浪子。病める老人《としより》の用しげく婢《おんな》を呼ばるるゆえ、しいて「わたくしがいたしましょう」と引き取ってなれぬこととて意に満たぬことあれば、こなたには礼を言いてわざと召使いの者を例の大音声《だいおんじょう》にしかり飛ばさるるその声は、十年がほども継母の雄弁冷語を聞き尽くしたる耳にも今さらのように聞こえぬ。それも初めしばしがほどにて、後には癇癪《かんしゃく》の鋒《ほこさき》直接に吾身《われ》に向かうようになりつ。幾が去りし後は、たれ慰むる者もなく、時々はどうやらまた昔の日陰に立ち戻りし心地《ここち》もせしが、部屋《へや》に帰って机の上の銀の写真掛けにかかったたくましき海軍士官の面影《おもかげ》を見ては、うれしさ恋しさなつかしさのむらむらと込み上げて、そっと手にとり、食い入るようにながめつめ、キッスし、頬《ほお》ずりして、今そこにその人のいるように「早く帰ッてちょうだい」とささやきつ。良人《おっと》のためにはいかなる辛抱も楽しと思いて、われを捨てて姑に事《つか》えぬ。

     七の一

[#これより手紙文、1字下げ]
 流汗を揮《ふる》いつつ華氏九十九度の香港《ほんこん》より申し上げ候《そろ》。佐世保《させほ》抜錨《ばつびょう》までは先便すでに申し上げ置きたる通りに有之《これあり》候。さて佐世保出帆後は連日の快晴にて暑気|燬《や》くがごとく、さすが神州海国男子も少々|辟易《へきえき》、もっとも同僚士官及び兵のうち八九名日射病に襲われたる者|有之《これあり》候えども、小生は至極健全、毫《ごう》も病室の厄介に相成り申さず。ただしご存じ通りの黒人《くろんぼう》が赤道近き烈日に焦がされたるため、いよいよもって大々的黒面漢と相成り、今日《こんにち》ちょっと同僚と上陸し、市中の理髪店にいたり候ところ、ふと鏡を見てわれながらびっくりいたし候。意地《いじ》わるき同僚が、君、どう、着色写真でも撮《と》って、君のブライドに送らんかと戯れ候も一興に候。途中は右の通り快晴(もっとも一回モンスーンの来襲ありたれども)一同万歳を唱えて昨早朝|錨《いかり》を当湾内に投じ申し候。
 先日のお手紙は佐世保にて落手、一読再読いたし候。母上リョウマチス、年来の御持病、誠に困りたる事に候。しかし今年は浪さんが控えられ候事ゆえ、小生も大きに安心に候。何とぞ小生に代わりてよくよく心を御用《おんもち》いくださるべく候。御病気の節は別して御気分よろしからざる方なれば、浪さんも定めていろいろと骨折らるべく遙察《ようさつ》いたし候。赤坂の方も定めておかわりもなかるべくと存じ申し候。加藤の伯父さんは相変わらず木鋏《きばさみ》が手を放れ申すまじきか。
 幾姥《いくばあ》は帰り候由。何ゆえに候や存ぜず候えども、実に残念の事どもに候。浪さんより便《たより》あらばよろしくよろしく伝えらるべく、帰りには姥《ばあ》へ沢山|土産《みやげ》を持って来ると御伝《おんつた》えくだされたく候。実に愉快な女にて小生も大好きに候ところ、赤坂の方に帰りしは残念に候。浪さんも何かと不自由にさびしかるべくと存じ候。加藤の伯母様や千鶴子《ちずこ》さんは時々まいられ候や。
 千々岩《ちぢわ》はおりおりまいり候由。小生らは誠に親類少なく、千々岩はその少なき親類の一|人《にん》なれば、母上も自然頼みに思《おぼ》す事に候。同人をよく待《たい》するも母上に孝行の一に有之《これある》べく候。同人も才気あり胆力ある男なれば、まさかの時の頼みにも相成るべく候。(下略)
[#1字下げここまで]
香港にて[#この行、下揃え、下から5字上げ、相対的に字が小さい]
    七月 日[#この行ここまで相対的に字が小さい、ここからは下揃え、下から3字上げ]武 男
   お浪どの

[#これより手紙文、1字下げ]
 母上に別紙(略之)読んでお聞かせ申し上げられたく候。
 当池には四五日|碇泊《ていはく》、食糧など買い入れ、それよりマニラを経て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに候。帰国は多分秋に相成り申すべく候。
 手紙はサンフランシスコ日本領事館留め置きにして出したまえ。
[#1字下げここまで]

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

[#これより手紙文、1字下げ]
 (前文略)去る五月は浪さんと伊香保にあり、蕨《わらび》採りて慰みしに今は南半球なる豪州シドニーにあり、サウゾルンクロッスの星を仰いでその時を想《おも》う。奇妙なる世の中に候。先年練習艦にて遠洋航海の節は、どうしても時々|船暈《ふなよい》を感ぜしが、今度は無病息災われながら達者なるにあきれ候。しかし今回は先年に覚えなき感情身につきまとい候。航海中当直の夜《よ》など、まっ黒き空に金剛石をまき散らしたるような南天を仰ぎて、ひとり艦橋の上に立つ時は、何とも言い難き感が起こりて、浪さんの姿が目さきにちらちらいたし(女々《めめ》しと笑いたもうな)候。同僚の前ではさもあらばあれ家郷思遠征《かきょうえんせいをおもう》と吟じて平気に澄ましておれど、(笑いたもうな)浪さんの写真は始終ある人の内ポケットに潜みおり候。今この手紙を書く時も、宅《うち》のあの六畳の部屋《へや》の芭蕉《ばしょう》の陰の机に頬杖《ほおづえ》つきてこの手紙を読む人の面影がすぐそこに見え候(中略)
 シドニー港内には夫婦、家族、他人交えずヨットに乗りて遊ぶ者多し。他日功成り名遂げて小生も浪さんも白髪《しらが》の爺姥《じじばば》になる時は、あにただヨットのみならんや、五千トンぐらいの汽船を一艘《いっそう》こしらえ、小生が船長となって、子供や孫を乗組員として世界週航を企て申すべく候。その節はこのシドニーにも来て、何十年|前《ぜん》血気盛りの海軍少尉の夢を白髪の浪さんに話し申すべく候(下略)
[#1字下げここまで]
シドニーにて[#この行、下揃え、下から7字上げ、相対的に字が小さい]
    八月 日[#この行ここまで相対的に字が小さい、ここからは下揃え、下から3字上げ]武 男 生
   浪子さま

     七の二

[#これより手紙文、1字下げ]
 去る七月十五日香港よりお仕出しのおなつかしき玉章《たまずさ》とる手おそしとくりかえしくりかえしくりかえし拝し上げ参らせ候 さ候えばはげしき暑さの御《おん》さわりもあらせられず何より何より御嬉《おんうれ》しゅう存じ上げ参らせ候 この許《もと》御母上様御病気もこの節は大きにお快く何とぞ何とぞ御安心遊ばし候よう願い上げ参らせ候 わたくし事も毎日とやかくとさびしき日を送りおり参らせ候 お留守の事にも候えば何とぞ母上様の御機嫌《ごきげん》に入り候ようにと心がけおり参らせ候えども不束《ふつつか》の身は何も至り兼ね候事のみなれぬこととて何かと失策《しくじり》のみいたし誠に困り入り参らせ候 ただただ一日も早く御《おん》帰り遊ばし健やかなるお顔を拝し候時を楽しみに毎日暮らしおり参らせ候
 赤坂の方も何ぞかわり候事も無之《これなく》先日より逗子《ずし》の別荘の方へ一同《みなみな》まいり加藤家も皆々|興津《おきつ》の方へまいり東京はさびしきことに相成り参らせ候 幾《いく》も一緒に逗子に罷《まか》り越し無事相つとめおり参らせ候 御伝言《おんことづけ》の趣申しつかわし候ところ当人も涙を流して喜び申し候由くれぐれもよろしく御《おん》礼申し上げ候よう申し越し参らせ候
 わたくし事も今になりていろいろ勉強の足らざりしを憾《うら》み参らせ候 家政の事は女の本分なればよくよく心を用い候よう平生《かねがね》父より戒められ候事とて宅におり候ころよりなるたけそのつもりにて居《い》参らせ候えども何を申しても女のあさはかにそのような事はいつでもできるように思いいたずらに過ごし参らせ候より今となりてあの事も習って置けばよかりしこの事も忘れしと思いあたる事のみ多く困り入り参らせ候 英語の勉強も御仰《おんおお》せの言《こと》も有之《これあり》候えばぜひにと心がけ参らせ候えども机の前にばかりすわり候ては母上様の御思召《おぼしめし》もいかがと存ぜられ今しばらくは何よりもまず家政のけいこに打ちかかり申したく何とぞ何とぞ悪《あ》しからず思召《おぼしめし》のほど願い上げ参らせ候
 誠におはずかしき事に候えどもどうやらいたし候節はさびしさ悲しさのやる瀬なく早く早く早く御《おん》目にかかりたく翼あらばおそばに飛んでも行きたく存じ参らせ候事も有之《これあり》夜ごと日ごとにお写真とお艦《ふね》の写真を取り出《い》でてはながめ入り参らせ候 万国地理など学校にては何げなく看過《みす》ごしにいたし候ものの近ごろは忘れし地図など今さらにとりいでて今日はお艦《ふね》のこのあたりをや過ぎさせたまわん明日《あす》は明後日《あさって》はと鉛筆にて地図の上をたどり居参らせ候 ああ男に生まれしならば水兵ともなりて始終おそば離れずおつき申さんをなどあらぬ事まで心に浮かびわれとわが身をしかり候ても日々物思いに沈み参らせ候 これまで何心なく目もとめ申さざりし新聞の天気予報など今|在《いま》すあたりはこのほかと知りながら風など警戒のいで候節は実に実に気にかかり参らせ候 何とぞ何とぞお尊体《からだ》を御《おん》大切に……(下文略)
[#1字下げここまで]
[#この行、下揃え、下から3字上げ]浪より
   恋しき
     武男様

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 [#これより手紙文、1字下げ]
(上略)近ごろは夜々《よるよる》御《おん》姿の夢に入り実に実に一日千秋の思いをなしおり参らせ候 昨夜もごいっしょに艦《ふね》にて伊香保に蕨《わらび》とりにまいり候ところふとたれかが私《わたくし》どもの間に立ち入りてお姿は遠くなりわたくしは艦《ふね》より落ちると見て魘《おそ》われ候ところを母上様に
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