なここにおる」
空《くう》を見詰めし浪子の目は次第に動きて、父中将の涙に曇れる目と相会いぬ。
「おとうさま――おだいじに」
ほろほろ涙をこぼしつつ、浪子はわずかに右手《めて》を移して、その左を握れる父の手を握りぬ。
「お母さま」
子爵夫人は進みて浪子の涙をぬぐいつ。浪子はその手を執り
「お母さま――御免――遊ばして」
子爵夫人の唇はふるい、物を得言わず顔打ちおおいて退きぬ。
加藤子爵夫人は泣き沈む千鶴子を励ましつつ、かわるがわる進みて浪子の手を握り、駒子も進みて姉の床ぎわにひざまずきぬ。わななく手をあげて、浪子は妹の前髪をかいなでつ。
「駒《こう》ちゃん――さよなら――」
言いかけて、苦しき息をつけば、駒子は打ち震いつつ一匕《ひとさじ》の赤酒を姉の唇に注ぎぬ。浪子は閉じたる目を開きつつ、見回して
「毅一《きい》さん――道《みい》ちゃん――は?」
二人の小児《こども》は子爵夫人の計らいとして、すでに月の初めより避暑におもむけるなり。浪子はうなずきて、ややうっとりとなりつ。
この時座末に泣き浸りたる幾は、つと身を起こして、力なくたれし浪子の手をひしと両手に握りぬ。
「ばあや――」
「お、お、お嬢様、ばあやもごいっしょに――」
泣きくずるる幾をわずかに次へ立たしたるあとは、しんとして水のごとくなりぬ。浪子は口を閉じ、目を閉じ、死の影は次第にその面《おもて》をおおわんとす。中将はさらに進みて
「浪、何も言いのこす事はないか。――しっかりせい」
なつかしき声に呼びかえされて、わずかに開ける目は加藤子爵夫人に注ぎつ。夫人は浪子の手を執り、
「浪さん、何もわたしがうけ合った。安心して、お母さんの所においで」
かすかなる微咲《えみ》の唇に上ると見れば、見る見る瞼《まぶた》は閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。
さし入る月は蒼白《あおじろ》き面《おもて》を照らして、微咲《えみ》はなお唇に浮かべり。されど浪子は永《なが》く眠れるなり。
*
三日を隔てて、浪子は青山《あおやま》墓地に葬られぬ。
交遊広き片岡中将の事なれば、会葬者はきわめておおく、浪子が同窓の涙をおおうて見送れるも多かりき。少しく子細を知れる者は中将の暗涙を帯びて棺側に立つを見て断腸の思いをなせしが、知らざる者も老女の幾がわれを忘れて棺にすがり泣き口説《くど》けるに袖《そで》をぬらしたり。
故人《なきひと》は妙齢の淑女なればにや、夏ながらさまざまの生け花の寄贈多かりき。そのなかに四十あまりの羽織|袴《はかま》の男がもたらしつるもののみは、中将の玄関より突き返されつ。その生け花には「川島家」の札ありき。
十の一
四月《よつき》あまり過ぎたり。
霜に染みたる南天の影長々と庭に臥《ふ》す午後四時過ぎ、相も変わらず肥えに肥えたる川島未亡人は、やおら障子をあけて縁側に出《い》で来たり、手水鉢《ちょうずばち》に立ち寄りて、水なきに舌鼓を鳴らしつ。
「松《まアつ》、――竹《たけエ》」
呼ぶ声に一人《ひとり》は庭口より一人は縁側よりあわただしく走り来つ。恐慌の色は面《おもて》にあらわれたり。
「汝達《わいども》は何《なあに》をしとッか。先日《こないだ》もいっといたじゃなっか。こ、これを見なさい」
柄杓《ひしゃく》をとって、からの手水鉢をからからとかき回せば、色を失える二人《ふたり》はただ息をのみつ。
「早《は》よせんか」
耳近き落雷にいよいよ色を失いて、二人は去りぬ。未亡人は何か口のうちにつぶやきつつ、やがてもたらし来し水に手を洗いて、入らんとする時、他の一人は入り来たりて小腰を屈《かが》めたり。
「何か」
「山木様とおっしゃいます方が――」
言《こと》終わらざるに、一種の冷笑は不平と相半ばして面積広き未亡人の顔をおおいぬ。実を言えば去年の秋お豊《とよ》が逃げ帰りたる以後はおのずから山木の足も遠かりき。山木は去年このかたの戦争に幾万の利を占めける由を聞き知りて、川島未亡人はいよいよもって山木の仕打ちに不満をいだき、召使いにむかいて恩の忘るべからざるを説法するごとに、暗《あん》に山木を実例にとれるなりき。しかも習慣はついに勝ちを占めぬ。
「通しなさい」
やがて屋敷に通れる山木は幾たびかかの赤黒子《あかぼくろ》の顔を上げ下げつ。
「山木さん、久しぶりごあんすな」
「いや、御隠居様、どうも申しわけないごぶさたをいたしました。ぜひお伺い申すでございましたが、その、戦争後は商用でもって始終あちこちいたしておりまして、まず御壮健おめでとう存じます」
「山木さん、戦争じゃしっかいもうかったでごあんそいな」
「へへへへ、どういたしまして――まあおかげさまでその、とやかく、へへへへへ」
おりから小間使いが水引かけたる品々を腕もたわわにささげ来つ。
「お客様の――」と座の中央《もなか》に差し出《いだ》して、罷《まか》りぬ。
じろり一瞥《いちべつ》を台の上の物にくれて、やや満足の笑《え》みは未亡人の顔にあらわれたり。
「これはいろいろ気の毒でごあんすの、ほほほほ」
「いえ、どうつかまつりまして。ついほンの、その――いや、申しおくれましたが、武――若旦那様も大尉に御昇進遊ばして、御勲章や御賜金がございましたそうで、実は先日新聞で拝見いたしまして――おめでとうございました。で、ただ今はどちら――佐世保においででございましょうか」
「武でごあんすか。武は昨日《きのう》帰って来申《きも》した」
「へエ、昨日? 昨日お帰りで? へエ、それはそれは、それはよくこそ、お変わりもございませんで?」
「相変わらず坊っちゃまで困いますよ。ほほほほ、今日《きょう》は朝から出て、まだ帰いません」
「へエ、それは。まずお帰りで御安心でございます。いや御安心と申しますと、片岡様でも誠に早お気の毒でございました。たしかもう百か日もお過ぎなさいましたそうで――しかしあの御病気ばかりはどうもいたし方のないもので、御隠居様、さすがお目が届きましたね」
川島夫人は顔ふくらしつ。
「彼女《あい》の事じゃ、わたしも実に困いましたよ。銭はつかう、悴《せがれ》とけんかまでする、そのあげくにゃ鬼婆《おにばば》のごと言わるる、得のいかン※[#「※」は「おんなへん+息」、第4水準2−5−70、221−16]御《よめご》じゃってな、山木さん――。そいばかいか彼女《あい》が死んだと聞いたから、弔儀《くやみ》に田崎をやって、生花《はな》をなあ、やったと思いなさい。礼どころか――突っ返して来申《きも》した。失礼じゃごあはんか、なあ山木さん」
浪子が死せしと聞きしその時は、未亡人もさすがによき心地《ここち》はせざりしが、そのたまたま贈りし生花の一も二もなく突き返されしにて、万《よろず》の感情はさらりと消えて、ただ苦味《にがみ》のみ残りしなり。
「へエ、それは――それはまたあんまりな。――いや、御隠居様――」
小間使いがささげ来たれる一|碗《わん》の茗《めい》になめらかなる唇をうるおし
「昨年来は長々お世話に相成りましてございますが、娘――豊《とよ》も近々《ちかぢか》に嫁にやることにいたしまして――」
「お豊どんが嫁に?――それはまあ――そして先方《むこう》は?」
「先方は法学士で、目下《ただいま》農商務省の○○課長をいたしておる男で、ご存じでございましょうか、○○と申します人でございまして、千々岩《ちぢわ》さんなどももと世話に――や、千々岩さんと申しますと、誠にお気の毒な、まだ若いお方を、残念でございました」
一点の翳《かげ》未亡人の額をかすめつ。
「戦争《いくさ》はいやなもんでごあんすの、山木さん。――そいでその婚礼は何日《いつ》?」
「取り急ぎまして明後々日に定《き》めましてございますが――御隠居様、どうかひとつ御来駕《おいで》くださいますように、――川島様の御隠居様がおすわり遊ばしておいで遊ばすと申しますれば、へへへ手前どもの鼻も高うございますわけで、――どうかぜひ――家内も出ますはずでございますが、その、取り込んでいますので――武――若旦那様もどうか――」
未亡人はうなずきつ。おりから五点をうつ床上《とこ》の置き時計を顧みて、
「おおもう五時じゃ、日が短いな。武はどうしつろ?」
十の二
白菊を手にさげし海軍士官、青山|南町《みなみちょう》の方《かた》より共同墓地に入り来たりぬ。
あたかも新嘗祭《にいなめさい》の空青々と晴れて、午後の日光《ひかり》は墓地に満ちたり。秋はここにも紅《くれない》に照れる桜の葉はらりと落ちて、仕切りの籬《かき》に咲《え》む茶山花《さざんか》の香《かおり》ほのかに、線香の煙立ち上るあたりには小鳥の声幽に聞こえぬ。今《いま》笄町《こうがいちょう》の方《かた》に過ぎし車の音かすかになりて消えたるあとは、寂《しず》けさひとしお増さり、ただはるかに響く都城《みやこ》のどよみの、この寂寞《せきばく》に和して、かの現《うつつ》とこの夢と相共に人生の哀歌を奏するのみ。
生籬《いけがき》の間より衣の影ちらちら見えて、やがて出《い》で来し二十七八の婦人、目を赤うして、水兵服の七歳《ななつ》ばかりの男児《おのこ》の手を引きたるが、海軍士官と行きすりて、五六歩過ぎし時、
「母《かあ》さん、あのおじさんもやっぱし海軍ね」
という子供の声聞こえて、婦人はハンケチに顔をおさえて行きぬ。それとも知らぬ海軍士官は、道を考うるようにしばしば立ち留まりては新しき墓標を読みつつ、ふと一等墓地の中に松桜を交え植えたる一画《ひとしきり》の塋域《はかしょ》の前にいたり、うなずきて立ち止まり、垣《かき》の小門の閂《かんぬき》を揺《うご》かせば、手に従って開きつ。正面には年経たる石塔あり。士官はつと入りて見回し、横手になお新しき墓標の前に立てり。松は墓標の上に翠蓋《すいがい》をかざして、黄ばみ紅《あか》らめる桜の落ち葉点々としてこれをめぐり、近ごろ立てしと覚ゆる卒塔婆《そとば》は簇々《ぞくぞく》としてこれを護《まも》りぬ。墓標には墨痕《ぼっこん》あざやかに「片岡浪子の墓」の六字を書けり。海軍士官は墓標をながめて石のごとく突っ立ちたり。
やや久しゅうして、唇ふるい、嗚咽《おえつ》は食いしばりたる歯を漏れぬ。
*
武男は昨日帰れるなり。
五か月|前《ぜん》山科《やましな》の停車場に今この墓標の下《もと》に臥《ふ》す人と相見し彼は、征台の艦中に加藤子爵夫人の書に接して、浪子のすでに世にあらざるを知りつ。昨日帰りし今日は、加藤子爵夫人を訪《と》いて、午《ひる》過ぐるまでその話に腸《はらわた》を断ち、今ここに来たれるなり。
武男は墓標の前に立ちわれを忘れてやや久しく哭《こく》したり。
三年の幻影はかわるがわる涙の狭霧《さぎり》のうちに浮かみつ。新婚の日、伊香保の遊、不動祠畔《ふどうしはん》の誓い、逗子《ずし》の別墅《べっしょ》に別れし夕べ、最後に山科《やましな》に相見しその日、これらは電光《いなずま》のごとくしだいに心に現われぬ。「早く帰ってちょうだい!」と言いし言《ことば》は耳にあれど、一たび帰れば彼女《かれ》はすでにわが家《や》の妻ならず、二たび帰りし今日はすでにこの世の人ならず。
「ああ、浪さん、なぜ死んでしまった!」
われ知らず言いて、涙《なんだ》は新たに泉とわきぬ。
一陣の風頭上を過ぎて、桜の葉はらはらと墓標をうって翻りつ。ふと心づきて武男は涙《なんだ》を押しぬぐいつつ、墓標の下《もと》に立ち寄りて、ややしおれたる花立ての花を抜きすて、持《も》て来し白菊をさしはさみ、手ずから落ち葉を掃い、内ポッケットをかい探りて一通の書を取り出《い》でぬ。
こは浪子の絶筆なり。今日加藤子爵夫人の手より受け取りて読みし時の心はいかなりしぞ。武男は書をひらきぬ。仮名書きの美しかりし手跡は痕《あと》もなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨はにじみて、涙のあと斑々《はんはん》として残れるを見ずや。
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