政府に友少なく、浪子を媒《なかだち》せる加藤子爵などはその少なき友の一|人《にん》なりき。甲東没後はとかく志を得ずして世をおえつ。男爵を得しも、実は生まれ所のよかりしおかげ、という者もありし。されば剛情者、わがまま者、癇癪《かんしゃく》持ちの通武はいつも怏々《おうおう》として不平を酒杯《さけ》に漏らしつ。三合入りの大杯たてつけに五つも重ねて、赤鬼のごとくなりつつ、肩を掉《ふ》って県会に臨めば、議員に顔色《がんしょく》ある者少なかりしとか。さもありつらん。
 されば川島家はつねに戒厳令の下《もと》にありて、家族は避雷針なき大木の下に夏住むごとく、戦々|兢々《きょうきょう》として明かし暮らしぬ。父の膝《ひざ》をばわが舞踏|場《ば》として、父にまさる遊び相手は世になきように幼き時より思い込みし武男のほかは、夫人の慶子はもとより奴婢《ぬひ》出入りの者果ては居間の柱まで主人が鉄拳《てっけん》の味を知らぬ者なく、今は紳商とて世に知られたるかの山木ごときもこの賜物《たまもの》を頂戴《ちょうだい》して痛み入りしこともたびたびなりけるが、何これしきの下され物、もうけさして賜わると思えば、なあに廉《やす》
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