かた》に向かいぬ。
 打ち明けていえば、子爵夫人はあまり水色の眼鏡をば好まぬなり。教育の差《ちがい》、気質の異なり、そはもちろんの事として、先妻の姉――これが始終心にわだかまりて、不快の種子《たね》となれるなり。われひとり主人中将の心を占領して、われひとり家に女|主人《あるじ》の威光を振るわんずる鼻さきへ、先妻の姉なる人のしばしば出入して、亡《な》き妻の面影《おもかげ》を主人の眼前《めさき》に浮かぶるのみか、口にこそ出《いだ》さね、わがこれをも昔の名残《なごり》とし疎《うと》める浪子、姥《うば》の幾らに同情を寄せ、死せる孔明《こうめい》のそれならねども、何かにつけてみまかりし人の影をよび起こしてわれと争わすが、はなはだ快からざりしなり。今やその浪子と姥の幾はようやくに去りて、治外の法権|撤《と》れしはやや心安きに似たれど、今もかの水色眼鏡の顔見るごとに、髣髴《ほうふつ》墓中の人の出《い》で来たりてわれと良人《おっと》を争い、主婦の権力を争い、せっかく立てし教育の方法家政の経綸《けいりん》をも争わんずる心地《ここち》して、おのずから安からず覚ゆるなりけり。
 水色の眼鏡は蝦夷錦《えぞにし
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