な》えたるを着て下座にすくまされし千々岩は、身は武男のごとく親、財産、地位などのあり余る者ならずして、全くわが拳《こぶし》とわが知恵に世を渡るべき者なるを早く悟り得て、武男を悪《にく》み、叔父をうらめり。
 彼は世渡りの道に裏と表の二条《ふたすじ》あるを見ぬきて、いかなる場合にも捷径《しょうけい》をとりて進まんことを誓いぬ。されば叔父の陰によりて陸軍士官学校にありける間も、同窓の者は試験の、点数のと騒ぐ間《ま》に、千々岩は郷党の先輩にも出入り油断なく、いやしくも交わるに身の便宜《たより》になるべき者を選み、他の者どもが卒業証書握りてほっと息つく間《ま》に、早くも手づるつとうて陸軍の主脳なる参謀本部の囲い内《うち》に乗り込み、ほかの同窓生《なかま》はあちこちの中隊付きとなりてそれ練兵やれ行軍と追いつかわるるに引きかえて、千々岩は参謀本部の階下に煙吹かして戯談《じょうだん》の間に軍国の大事もあるいは耳に入るうらやましき地位に巣くいたり。
 この上は結婚なり。猿猴《えんこう》のよく水に下るはつなげる手あるがため、人の立身するはよき縁あるがためと、早くも知れる彼は、戸籍吏ならねども、某男爵は某
前へ 次へ
全313ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング