《なんびと》に対しても用うる所の法なり。浪子もかつてその経験をなめぬ。しかしてその神経の敏に感の鋭かりしほどその苦痛を感ずる事も早かりき。お豊も今その経験をしいられぬ。しかしてその無為にして化する底《てい》の性質は、散弾の飛ぶもほとんどいずこの家に煎《い》る豆ぞと思い貌《がお》に過ぐるより、かの攻城砲は例よりもすみやかに持ち出《いだ》されざるを得ざりしなり。
 その心|悠々《ゆうゆう》として常に春がすみのたなびけるごとく、胸中に一点の物無《の》うして人我《にんが》の別定かならぬのみか、往々にして個人の輪郭消えて直ちに動植物と同化せんとし、春の夕べに庭などに立ちたらば、霊《たま》も体《たい》もそのまま霞《かすみ》のうちに融《と》け去りてすくうも手にはたまらざるべきお豊も恋に自己《おのれ》を自覚し初《そ》めてより、にわかに苦労というものも解し初《そ》めぬ。眠き目こすりて起き出《い》づるより、あれこれと追い使われ、その果ては小言|大喝《どなり》。もっとも陰口|中傷《あてこすり》は概して解かれぬままに鵜呑《うの》みとなれど、連《つる》べ放つ攻城砲のみはいかに超然たるお豊も当たりかねて、恋しき人
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