姉に比してやや侠《きゃん》なる妹《いもと》のおのが気質に似たるを喜び、一は姉へのあてつけに、一はまた継子《ままこ》とて愛せぬものかと世間に見せたき心も――ありて、父の愛の姉に注げるに対しておのずから味方を妹に求めぬ。
 私強《わたくしづよ》き人の性質《たち》として、ある方《かた》には人の思わくも思わずわが思うままにやり通すこともあれど、また思いのほかにもろくて人の評判に気をかねるものなり。畢竟《ひっきょう》名と利とあわせ収めて、好きな事する上に人によく思われんとするは、わがまま者の常なり。かかる人に限りて、おのずからへつらいを喜ぶ。子爵夫人は男まさりの、しかも洋風仕込みの、議論にかけては威命天下に響ける夫中将にすら負《ひけ》を取らねど、中将のいたるところ友を作り逢《あ》う人ごとに慕わるるに引きかえて、愛なき身には味方なく、心さびしきままにおのずからへつらい寄る人をば喜びつ。召使いの僕婢《おとこおんな》も言《こと》に訥《おそ》きはいつか退けられて、世辞よきが用いられるようになれば、幼き駒子も必ずしも姉を忌むにはあらざれど、姉を譏《そし》るが継母の気に入るを覚えてより、ついには告げ口の癖をなして、姥《うば》の幾に顔しかめさせしも一度二度にはあらず。されば姉は嫁《とつ》ぎての今までも、継母のためには細作をも務むるなりけり。
 東側の縁の、二つ目の窓の陰に身を側《そば》めて、聞きおれば、時々腹より押し出したような父の笑い声、凛《りん》とした伯母の笑い声、かわるがわる聞こえしが、後には話し声のようやく低音《こえひく》になりて、「姑《しゅうとめ》」「浪さん」などのとぎれとぎれに聞こゆるに、紅《あか》リボンの少女《おとめ》はいよよ耳傾けて聞き居たり。

     五の四

 「四《し》イ百《しゃア》く余州を挙《こ》うぞる、十う万ン余騎の敵イ、なんぞおそれンわアれに、鎌倉《かまくーら》ア男児ありイ」
 と足拍子踏みながらやって来しさっきの水兵、目早く縁側にたたずめる紅《あか》リボンを見つけて、紅リボンがしきりに手もて口をおおいて見せ、頭《かしら》を掉《ふ》り手を振りて見せるも委細かまわず「姉《ねえ》さま姉さま」と走り寄り「何してるの?」と問いすがり、姉がしきりに頭《かしら》をふるを「何? 何?」と問うに、紅リボンは顔をしかめて「いやな人だよ」と思わず声高に言って、しまったりと言い顔に肩をそびやかし、※[#「※」は「つつみがまえ」+「夕」、第3水準1−14−76、46−2]々《そうそう》に去り行きたり。
 「ヤアイ、逃げた、ヤアイ」
 と叫びながら、水兵は父の書斎に入りつ。来客の顔を見るよりにっこと笑いて、ちょっと頭《かしら》を下げながらつと父の膝《ひざ》にすがりぬ。
 「おや毅一《きい》さん、すこし見ないうちに、また大きくなったようですね。毎日学校ですか。そう、算術が甲? よく勉強しましたねエ。近いうちにおとうさまやおかあさまと伯母さンとこにおいでなさいな」
 「道《みい》はどうした? おう、そうか。そうら、伯母様がこんなものをくださッたぞ。うれしいか、あはははは」と菓子の瓶《びん》を見せながら「かあさんはどうした? まだ客か? 伯母様がもうお帰りなさる、とそう言って来い」
 出《い》で行く子供のあと見送りながら、主人中将はじっと水色眼鏡の顔を見つめて、
 「じゃ幾の事はそうきめてどうか角立《かどだ》たぬように――はあそう願いましょう。いや実はわたしもそんな事がなけりゃいいがと思ったくらいで、まあやらない方じゃったが、浪がしきりに言うし、自身も懇望《こんもう》しちょったものじゃから――はあ、そう、はあ、はあ、何分願います」
 語半ばに入《はい》り来し子爵夫人|繁子《しげこ》、水色眼鏡の方《かた》をちらと見て「もうお帰りでございますの? あいにくの来客で――いえ、今帰りました。なに、また慈善会の相談ですよ。どうせ物にもなりますまいが。本当に今日《きょう》はお愛想《あいそ》もございませんで、どうぞ千鶴子《ちずこ》さんによろしく――浪さんがいなくなりましたらちょっとも遊びにいらッしゃいませんねエ」
 「こないだから少し加減が悪かッたものですから、どこにもごぶさたばかりいたします――では」と信玄袋をとりておもむろに立てば、
 中将もやおら体《たい》を起こして「どれそこまで運動かたがた、なにそこまでじゃ、そら毅一《きい》も道《みい》も運動に行くぞ」
 出《い》づるを送りし夫人繁子はやがて居間の安楽椅子に腰かけて、慈善会の趣意|書《がき》を見ながら、駒子を手招きて、
 「駒さん、何の話だったかい?」
 「あのね、おかあさま、よくはわからなかッたけども、何だか幾の事ですわ」
 「そう? 幾」
 「あのね、川島の老母《おばあさん》がね、リュウマチで肩が痛んで
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