――ばかな。あのばか娘もしようがないね、浪さん。あんな娘でももらい人《て》があるかしらん。ははは」
 「母《おっか》さまは、千々岩はあの山木と親しくするから、お豊を妻《さい》にもらったらよかろうッて、そうおっしゃっておいでなさいましたよ」
 「千々岩?――千々岩?――あいつ実に困ったやっだ。ずるいやつた知ってたが、まさかあんな嫌疑《けんぎ》を受けようとは思わんかった。いや近ごろの軍人は――僕も軍人だが――実にひどい。ちっとも昔の武士らしい風《ふう》はありやせん、みんな金のためにかかってる。何、僕だって軍人は必ず貧乏しなけりゃならんというのじゃない。冗費を節して、恒《つね》の産を積んで、まさかの時節《とき》に内顧の患《うれい》のないようにするのは、そらあ当然さ。ねエ浪さん。しかし身をもって国家の干城ともなろうという者がさ、内職に高利を貸したり、あわれむべき兵の衣食をかじったり、御用商人と結託して不義の財をむさぼったりするのは実に用捨がならんじゃないか。それに実に不快なは、あの賭博《とばく》だね。僕の同僚などもこそこそやってるやつがあるが、実に不愉快でたまらん。今のやつらは上にへつらって下からむさぼることばかり知っとる」
 今そこに当の敵のあるらんように息巻き荒く攻め立つるまだ無経験の海軍少尉を、身にしみて聞き惚《ほ》るる浪子は勇々《ゆゆ》しと誇りて、早く海軍大臣かないし軍令部長にして海軍部内の風《ふう》を一新したしと思えるなり。
 「本当にそうでございましょうねエ。あの、何だかよくは存じませんが、阿爺《ちち》がね、大臣をしていましたころも、いろいろな頼み事をしていろいろ物を持って来ますの。阿爺《ちち》はそんな事は大禁物《だいきんもつ》ですから、できる事は頼まれなくてもできる、できない事は頼んでもできないと申して、はねつけてもはねつけてもやはりいろいろ名をつけて持ち込んで来ましたわ。で、阿爺《ちち》が戯談《じょうだん》に、これではたれでも役人になりたがるはずだって笑っていましたよ」
 「そうだろう、陸軍も海軍も同じ事だ。金の世の中だね、浪さん――やあもう十時か」おりからりんりんとうつ柱時計を見かえりつ。
 「本当に時間《とき》が早くたつこと!」

     二の一

 芝桜川町なる山木兵造が邸《やしき》は、すぐれて広しというにあらねど、町はずれより西久保《にしのくぼ》の
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