笑いながら枕《まくら》べにすわるは、父の山木と母なり。娘はさすがにあわてて写真を押し隠し、起きもされず寝もされずといわんがごとく横になりおる。
 「どうだ、お豊、気分は? ちっとはいいか? 今隠したのは何だい。ちょっと見せな、まあ見せな。これさ見せなといえば。――なんだ、こりア、浪子さんの顔じゃないか、ひどく爪かたをつけたじゃないか。こんな事するよりか丑《うし》の時参りでもした方がよっぽど気がきいてるぜ!」
 「あんたまたそないな事を!」
 「どうだ、お豊、御身《おまえ》も山木兵造の娘じゃないか。ちっと気を大きくして山気《やまき》を出せ、山気を出せ、あんなけちけちした男に心中立て――それもさこっちばかりでお相手なしの心中立てするよりか、こら、お豊、三井《みつい》か三菱《みつびし》、でなけりゃア大将か総理大臣の息子《むすこ》、いやそれよりか外国の皇族でも引っかける分別をしろ。そんな肝ッ玉の小せエ事でどうするものか。どうだい、お豊」
 母の前では縦横に駄々《だだ》をこねたまえど、お豊姫もさすがに父の前をば憚《はばか》りたもうなり。突っ伏して答えなし。
 「どうだ、お豊、やっぱり武男さんが恋しいか。いや困った小浪《こなみ》御寮《ごりょう》だ。小浪といえば、ねエお豊、ちっと気晴らしに京都にでも行って見んか。そらアおもしろいぞ。祇園《ぎおん》清水《きよみず》知恩院《ちおんいん》、金閣寺《きんかくじ》拝見がいやなら西陣《にしじん》へ行って、帯か三|枚襲《まいがさね》でも見立てるさ。どうだ、あいた口に牡丹餅《ぼたもち》よりうまい話だろう。御身《おまえ》も久しぶりだ、お豊を連れて道行きと出かけなさい、なあおすみ」
 「あんたもいっしょに行きなはるのかいな」
 「おれ? ばかを言いなさい、この忙《せわ》しいなかに!」
 「それならわたしもまあ見合わせやな」
 「なぜ? 飛んだ義理立てさするじゃないか。なぜだい?」
 「おほ」
 「なぜだい?」
 「おほほほほほ」
 「気味の悪《わり》い笑い方をするじゃないか。なぜだい?」
 「あんた一人《ひとり》の留守が心配やさかい」
 「ばかをいうぜ。お豊の前でそんな事いうやつがあるものか。お豊、母《おっか》さんの言ってる事《こた》ア皆うそだぜ、真《ま》に受けるなよ」
 「おほほほ。どないに口で言わはってもあかんさかいなア」
 「ばかをいうな。そ
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