せずに、無礼千万な艶書《ふみ》を吾《ひと》にやったりなンぞ……もうこれから決して容赦はしませぬ」
 「何ですと?」千々岩の額はまっ暗くなり来たり、唇《くちびる》をかんで、一歩二歩寄らんとす。
 だしぬけにいななく声|足下《あしもと》に起こりて、馬上の半身坂より上に見え来たりぬ。
 「ハイハイハイッ。お邪魔でがあすよ。ハイハイハイッ」と馬上なる六十あまりの老爺《おやじ》、頬被《ほおかぶ》りをとりながら、怪しげに二人《ふたり》のようすを見かえり見かえり行き過ぎたり。
 千々岩は立ちたるままに、動かず。額の条《すじ》はややのびて、結びたる唇のほとりに冷笑のみぞ浮かびたる。
 「へへへへ、御迷惑ならお返しなさい」
 「何をですか?」
 「何が何をですか、おきらいなものを!」
 「ありません」
 「なぜないのです」
 「汚らわしいものは焼きすててしまいました」
 「いよいよですな。別に見た者はきっとないですか」
 「ありません」
 「いよいよですか」
 「失敬な」
 浪子は忿然《ふんぜん》として放ちたる眼光の、彼がまっ黒き目のすさまじきに見返されて、不快に得堪《えた》えずぞっと震いつつ、はるかに目をそらしぬ。あたかもその時谷を隔てしかなたの坂の口に武男の姿見え来たりぬ。顔一点|棗《なつめ》のごとくあかく夕日にひらめきつ。
 浪子はほっと息つきたり。
 「浪子さん」
 千々岩は懲りずまにあちこち逸《そ》らす浪子の目を追いつつ「浪子さん、一言《ひとこと》いって置くが、秘密、何事《なに》も秘密に、な、武男君にも、御両親にも。で、なけりゃ――後悔しますぞ」
 電《いなずま》のごとき眼光を浪子の面《おもて》に射つつ、千々岩は身を転じて、俛《ふ》してそこらの草花を摘み集めぬ。
 靴音《くつおと》高く、ステッキ打ち振りつつ坂を上り来し武男「失敬、失敬。あ苦しい、走りずめだッたから。しかしあったよ、ステッキは。――う、浪さんどうかしたかい、ひどく顔色《いろ》が悪いぞ」
 千々岩は今摘みし菫《すみれ》の花を胸の飾紐《ひも》にさしながら、
 「なに、浪子さんはね、君があまりひま取ったもンだから、おおかた迷子《まいご》になったンだろうッて、ひどく心配しなすッたンさ。はッはははは」
 「あはははは。そうか。さあ、そろそろ帰ろうじゃないか」
 三人《みたり》の影法師は相並んで道べの草に曳《ひ》きつつ伊
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