らからと笑いながら「なあ難波君、学問の出来《でく》る細君《おくさん》は持つもんじゃごわはん、いやさんざんな目にあわされますぞ、あはははは」と言われしとか。さすがの難波も母の手前、何と挨拶《あいさつ》もし兼ねて手持ちぶさたに杯《さかずき》を上げ下げして居しが、その後《のち》おのが細君にくれぐれも女児《むすめ》どもには書物を読み過ごさせな、高等小学卒業で沢山と言い含められしとか。
 浪子は幼きよりいたって人なつこく、しかも怜悧《りこう》に、香炉峰《こうろほう》の雪に簾《すだれ》を巻くほどならずとも、三つのころより姥《うば》に抱かれて見送る玄関にわれから帽をとって阿爺《ちち》の頭《かしら》に載すほどの気はききたり。伸びん伸びんとする幼心《おさなごころ》は、たとえば春の若菜のごとし。よしやひとたび雪に降られしとて、ふみにじりだにせられずば、おのずから雪|融《と》けて青々とのぶるなり。慈母《はは》に別れし浪子の哀《かな》しみは子供には似ず深かりしも、後《あと》の日だに照りたらば苦もなく育つはずなりき。束髪に結いて、そばへ寄れば香水の香の立ち迷う、目少し釣りて口大きなる今の母を初めて見し時は、さすがに少したじろぎつるも、人なつこき浪子はこの母君にだに慕い寄るべかりしに、継母はわれからさしはさむ一念にかあゆき児《こ》をば押し隔てつ。世なれぬわがまま者の、学問の誇り、邪推、嫉妬《しっと》さえ手伝いて、まだ八つ九つの可愛児《かあいこ》を心ある大人《おとな》なんどのように相手にするより、こなたは取りつく島もなく、寒ささびしさは心にしみぬ。ああ愛されぬは不幸なり、愛いすることのできぬはなおさらに不幸なり。浪子は母あれども愛するを得ず、妹《いもと》あれども愛するを得ず、ただ父と姥《うば》の幾《いく》と実母の姉なる伯母《おば》はあれど、何を言いても伯母はよその人、幾は召使いの身、それすら母の目常に注ぎてあれば、少しよくしても、してもらいても、互いにひいきの引き倒し、かえってためにならず。ただ父こそは、父こそは渾身《こんしん》愛に満ちたれど、その父中将すらもさすがに母の前をばかねらるる、それも思えば慈愛の一つなり。されば母の前では余儀なくしかりて、陰へ回れば言葉少なく情深くいたわる父の人知らぬ苦心、怜悧《さと》き浪子は十分に酌《く》んで、ああうれしいかたじけない、どうぞ身を粉《こ》にしても父上
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