手《ひだり》の障子には、ひょろひょろとした南天の影|手水鉢《ちょうずばち》をおおうてうつむきざまに映り、右手には槎※[#「※」は「木へん」+「牙」、第4水準2−14−40、81−7]《さが》たる老梅の縦横に枝をさしかわしたるがあざやかに映りて、まだつぼみがちなるその影の、花は数うべくまばらなるにも春の浅きは知られつべし。南縁《なんえん》暄《けん》を迎うるにやあらん、腰板の上に猫《ねこ》の頭《かしら》の映りたるが、今日の暖気に浮かれ出《い》でし羽虫《はむし》目がけて飛び上がりしに、捕《と》りはずしてどうと落ちたるをまた心に関せざるもののごとく、悠々としてわが足をなむるにか、影なる頭《かしら》のしきりにうなずきつ。微笑を含みてこの光景《ありさま》を見し浪子は、日のまぶしきに眉《まゆ》を攅《あつ》め、目を閉じて、うっとりとしていたりしが、やおらあなたに転臥《ねがえり》して、編みかけの韈《くつした》をなで試みつつ、また縦横に編み棒を動かし始めぬ。
ドシドシと縁に重《おも》やかなる足音して、矮《たけひく》き仁王《におう》の影障子を伝い来つ。
「気分はどうごあんすな?」
と枕べにすわるは姑《しゅうと》なり。
「今日は大層ようございます。起きられるのですけども――」と編み物をさしおき、襟《えり》の乱れを繕いつつ、起き上がらんとするを、姑は押しとめ、
「そ、そいがいかん、そいがいかん。他人じゃなし、遠慮がいッもンか。そ、そ、そ、また編み物しなはるな。いけませんど。病人な養生《ようじょう》が仕事、なあ浪どん。和女《おまえ》は武男が事ちゅうと、何もかも忘れッちまいなはる。いけません。早う養生してな――」
「本当に済みません、やすんでばかし……」
「そ、そいが他人行儀、なあ。わたしはそいが大きらいじゃ」
うそをつきたもうな、卿《おんみ》は常に当今の嫁なるものの舅姑《しゅうと》に礼足らずとつぶやき、ひそかにわが※[#「※」は「おんなへん+息」、第4水準2−5−70、82−7]《よめ》のこれに異なるをもっけの幸《さち》と思うならずや。浪子は実家《さと》にありけるころより、口にいわねどひそかにその継母のよろず洋風にさばさばとせるをあきたらず思いて、一家の作法の上にはおのずから一種古風の嗜味《しみ》を有せるなりき。
姑はふと思い出《い》でたるように、
「お、武男から手紙が来た
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