《をんな》甕を頭に乗せて来り汲む。或はこゝにて洗濯をなすあり。いづれも日に焼けて赤黒く、素足なり。或は襟に、或は手首に、或は髪に銀貨を聯《つら》ねかけて装飾《かざり》とするは珍らし。極めて稀には金貨をかざれるもあり。シリアを旅して往々《わう/\》穴のあきたる銀貨のツリを貰ふことあるは、此風習あるが為なり。
一睡してまた馬に上る。岩山を上り下りしてやゝ平《たひら》なる浅き谷を行く。午後の日|射《さ》して、馬上|頗《すこぶ》る退屈す。前を見ればジヤルルック君は土耳其《とるこ》帽の上に白手巾《しろはんけち》を被り、棒縞の白地(筒袖にして裾の二方を五寸ばかり開く)に五寸幅の猩々緋《しやう/″\ひ》の帯して栗毛を歩ませ、後を顧みれば馬士《まご》のイブラヒム君土耳其帽を横ちよにかぶり、真黒く焼けし顔を日に曝し、荷物の上に両足投げ出して、ほくほく歩ます。やがて二人はしきりに歌ひ出しぬ。云々《しか/″\》してヤーモ、ヤーモ、ヤーモーヤーモー、ヤーモ、ヤーモ何の事か一切|解《げ》す可からず。中なる馬上の客も、多くは知らね賛美歌の種をきらして、人に習はぬ「忍路高島《おしよろたかしま》」を歌ふ。
水なるかな水
やがて此浅き谷は低き山の隈《くま》に尽きて、其処《そこ》に大なる無花果、ポプラル、葡萄、石榴《ざくろ》など一族《いちぞく》の緑眼もさむるばかり鮮かなる小村あり。ドタンと云ふ。旧約の少年ヨセフが、父の命により十人の兄を尋ね来て坑《あな》に打込まれはては売られし所と伝ふ。この処に径一丈ばかりの泉あり。ヱル・ハフイレーの泉と称す。ヨセフの坑とは例の附会なるべきも、ドタンは昔より斯《かゝ》る泉の為に羊を牧すべき地なりしならん。雨期を過ぎて未だ久しからねば、泉の清水満々と湛《たゝ》へたるに、旅僧《たびそう》らしきが二人、驢馬を放ち真裸になりて、首まで浸《ひた》り居りぬ。ぐるりの石に縄かけて縋《すが》り居るを見れば、水の深さも知らる。泉の水は溢れていさゝ小川をなし、胡瓜《きうり》などつくれる野の畑へと流れ行く。吾馬熱き蹄を小川に踏み入れて、鼻鳴らしつゝ水飲む。
水なるかな水、シリヤに夏の旅して「活ける水」の味を知る。烈しき日、乾燥せる空気、日を照りかへして白く晃《きら》めく岩の山、見るだに咽喉《のんど》のいらく土の家、見るもの尽《こと/″\》く唯渇きに渇きて、旅人の気も遠く目も眩《くら》まんとする時、こゝに活ける水の泉あり、滾々《こん/\》として岩間より湧き出づ。
嬉しさは言《ことば》に尽し難し。水なるかな、水ありて緑あり、水は咽《のんど》を湿《うるほ》し、緑は眼を潤す。水ありて、人あり、獣あり、村をなす。水なるかな、ヨハネが生命《いのち》の川の水を夢み、熱砂に育ちしマホメツトの天国が四時《しゞ》清水流れ果樹実を結ぶ処なるも、宜《うべ》なるかな。自然の乳房に不尽の乳を満たせし者に永遠《とこしへ》に光栄《ほまれ》あれよ。
エニンの夕
ドタンより丘を越えてカバチエーに到る。パレスタイン第一の橄欖林《かんらんりん》あり。皆古木。何千株なるを知らず。橄欖の実は九月に熟す。生食《せいしよく》し、塩蔵し、オリーブ油を製し、また石鹸《しやぼん》の原料となる。
これより始終谷を下り、日没|椶櫚《しゆろ》生《お》ふるエニンに到り、独逸《どいつ》人のホテルに投ず。今日は終日サマリヤの山を行けるなり。行程わづかに七里余。
エニンは昔のエンガンニム、海抜約六百五十|呎《フイート》、人口二千|左右《さう》の小邑《せういふ》、サマリヤの山尽き下《しも》ガリラヤの平原起る所の境《さかひ》にあり。ホテルの窓より眺むれば、展望幾重、紫嵐《しらん》を凝《こら》すカルメル山脈の上、金を流せる入日《いりひ》の空を点破して飛鳥遥にナザレの方を指す。
明星の夕《ゆふべ》はやがて月の夜となりぬ。ホテルの下に泉あり。清冽の水滾々と湧き、小川をなして流る。甕の婦人来り、牧夫来り、牛《ぎう》、羊《やう》、驢《ろ》、馬《ば》、駱駝《らくだ》、首さしのべて月下に飲む。
再び称へむ、水なるかな、水なるかな。
エズレルの平原
六日。今日はナザレに着く日なり。朝六時|欣々《きん/\》として馬に上る。漸く馴れて馬上も比較的楽になりぬ。
エルサレムよりサマリヤを経て一路エニンに到る迄、常に山上、または峡谷を過ぎて来り、エニンより一歩北すれば忽《たちま》ち下《しも》ガリラヤの野、パレスタイン第一のエズレル平原、またの名エスドレロン平原に下りぬ。エニンを出でゝ三十分ならず、行手の山の上|分明《ふんみやう》に白き邑《むら》を見る。あれは何と云ふ邑ぞ。あれこそナザレに候、と案内者が答ふる言葉の下より吾心《わがむね》は雀の如く躍りぬ。あゝあれがナザレか。父母に伴はれてエル
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