スまで約十二里。
ナブルスは旧約のシケム、ふるき所にて此処のサマリヤ人の会堂に秘蔵するモーゼの五経《ごけい》は有名なるものなり。目下《もくか》人口約三万、外人の居留も少なからず、エルサレムに次ぐ都会とす。半日の馬上に足腰|夥《おびたゞ》しく痛めば、見物を廃して休養す。
夜は蚤と肢体の痛みに眠られず。昼間見置きし枕辺の聖母の心臓を剣さし透《とほ》せる油絵は、解剖図などかけし様にて、あまり心地よき寝覚めの伴侶《とも》にもあらざりき。
サマリヤの墟址
五日。日と共に馬に上る。上《のぼ》りて見れば、昨夜|此《この》痛さにてはと思ひし程にはあらず。サマリヤは概してユダヤよりも地味《ちみ》まされり。殊にナブルスの谷は、清泉|処々《しよ/\》に湧きて、橄欖《かんらん》、無花果《いちじゆく》、杏《あんず》、桑、林檎、葡萄、各種野菜など青々と茂り、小川の末には蛙《かはづ》の音さへ聞こえぬ。
ナブルスを出はなれて程なく新道より北に折れ、山路《やまぢ》を行くこと二時間、セバスチエーに到る。即ち昔のイスラエル王国の首都サマリヤにて、後ヘロデも此処に壮麗なる府を建てぬ。四方《しはう》山の中に立ちたる高さ三百尺の一孤邱《いつこきう》、段々畠の上に些《ちと》の橄欖の樹あり、土小屋《つちごや》五六其|額《ひたひ》に巣くふ。馬上ながらに邱上《きうじやう》を一巡す。昔の名残には、ヘロデの建てし街の面影を見るべき花崗岩《みかげいし》の柱十数本、一丈五尺にして往々《わう/\》一石より成るもの、また山背《さんはい》の窪地に劇場の墟址《あと》あり。麦圃の畔《くろ》、橄欖の影に、断柱《だんちう》残礎《ざんそ》散在す。
村の附近に古寺《こじ》の墟《あと》あり、地下室にバプテスマのヨハネの墓、エリシヤの墓、オバデヤの墓など称するものあり。村人古銭など持ち来りてすゝむ。山上より西に地中海の寸碧《すんぺき》を見る。
旅の興
サマリヤの廃墟より山いくつか越えてシレーと云ふ山腹の村の近くにいたり、馬を繋ぎ、無花果の枝の下に潜り入りて、毛布《けつと》を地に敷き、少し早けれど携へたる牛乳、パン、ジヤム等にて昼食《ちうじき》し、午憩《ひるやすみ》す。杏多き所にて、ジヤルルック君|一風呂敷《ひとふろしき》買ひ来りしかど、余はエルサレムに、杏に中《あ》てられたれば食はず。ほとり近く泉あり。村の婦人
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