上に尽く。此あたりやゝ快濶たる山坡《さんば》の上、遠くヘルモン山の片影《へんえい》を見得べしと云ふ。今日は空少し夏霞《なつがすみ》して見えず、余等はこゝにて馬車を下る。エルサレムより約八里。
馬上
急坂を下りて、旅亭の址《あと》あり、側に泉湧く。ガリラヤよりエルサレムに行くユダヤ人の男女、および駱駝ひき、羊かひなど大勢憩ふ。余等も無花果《いちじゆく》の蔭を求めて、昼食《ちうじき》す。
やゝありて馬に上る。余は白馬、栗毛はジヤルルック君、イブラヒム君は余が荷物を駄せし黒に跨る。おとなしき馬をと特に頼み置きたる甲斐には、余の馬は極めて柔順なれど、極めて足遅く、しばしば道草を食ふ。イブラヒム君うしろより余の馬の尻をたゝく。駭《おどろ》きて突然駈け出し、余は殆んど落ちむとして馬の首を抱くものいくたび。パレスタイン六月の日は容赦なく頭上より照りつけ、古鞍《ふるぐら》に尻いたく、岩山の上り下り頗る困憊を極む。旅杖《たびづゑ》一つ、鞋《サンダル》に岩角を踏み小石を踏みて汗になりつゝ、徒歩し玉ひし師の昔を思ふ。タオルもてヘルメツト帽の上より頬かむりし、旅袋《たびぶくろ》より毛布取出して鞍上に敷きて、また行く。岩間に錦糸撫子《きんしなでしこ》などの咲けるを見る。
岩山幾つか越えて、また馬車も通ひ得べき谷の道に出づ。山、東西に低き屏風を開き、南北に細長き谷間は麦熟して黄河の流るゝが如し。已にサマリヤの境《さかひ》に入れるなり。
ヤコブの井
狭き谷の麦圃に沿ひ、北行《ほくかう》良《やゝ》久しく、西日まばしく馬影《ばえい》斜《なゝめ》に落つる頃、路の左に聳《そび》え起る一千尺ばかりの山を見る。中腹|石屏《せきびやう》を立てたる如き山骨《さんこつ》露《あら》はれ、赭禿《あかはげ》の山頂に小き建物あり。此れこそゲリジム山、昔サマリヤ人のエルサレムに対抗して神を拝せし跡、今山頂の建物は回教徒遥拝所なり、と案内者は説明す。
こゝに谷は三叉《みつまた》をなし、街道はゲリジム山麓を西に折れてナブルスの邑《まち》に到る。余等はヤコブの井を見る可く、大道より右にきれ込む。しばし行けば、田隴《でんろう》の間塀をめぐらし杏の木茂れる一区斜面の地あり。此処は昔の寺の跡、今は希臘《ぐりーき》派の小庵、ヤコブの井は境内にあり。馬を下りて入る。
年老いたる番僧の露西亜人《ろしあびと
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