ぬ。やがて鉄道線路を横ぎる。此はダマスコよりカルメル山下のハイフア港へ通ふもの、ヱスドレロン平原を東西に横断す。
 馬は傾斜をのぼりて小ヘルモン山南のシユネムの跡に到る。旧約にモレの山とあるは此小ヘルモンなるべしと云ふ。高さはギルボアと伯仲《はくちゆう》の間なり。シユネムはギルボアのサウルに対してペリシテ人の陣せし所、双方の間は小銃の戦《いくさ》も出来可《でくべ》き程に近く思はる。此処はまた預言者エリシヤが敬虔なる婦人の歓待を受け、後其子を死より復活せしめしと伝ふる所。今は夥しく茂れる覇王樹《しやぼてん》に囲繞されし十戸足らずの寒村なり。此処に三人抱程の素晴しき無花果の大木三本あり。三頭の馬を其一本に繋ぎ、余等三人は他の一本の下に毛布を敷いて坐し、昼食《ちうじき》午眠《ひるね》して午《ご》の前後四時間を此無花果樹下に費しぬ。小指の頭程の青き果《み》ヒシと生《な》れるを、小鳥は上よりつゝき、何処《どこ》も変わらぬ村の子供等下よりタヽき落して食《くら》ふ。

    ナザレへ

 午後二時無花果樹下を出でて再び馬に上り、小ヘルモン山の麓を北へ越えてナザレを指《さ》す。小ヘルモンの北麓、麦の穂末に平たき屋根の七八つあらはれたる孤村《こそん》は、基督の寡婦の子を蘇らし玉ひしと云ふナインの村なり。頭《かしら》円《まる》くして形優美なるタボルの山も東に近く見ゆ。今日過ぐる所は、すべて旧約の士師記《しゝき》、列王紀略上下、サムエル書上下等に関する名所旧蹟に満ちたる地なり。
 畑中の一堆《いつたい》邱《きう》に土造の穀物納屋の立ちたるを聖書の画見る心地にをかしと見つゝ、やがてナザレの山麓に到る。石だらけの山坂路《やまさかみち》、電光形に上りて行く。右手に険崖|矗立《ちくりつ》せる所を陥擠山《かんせいざん》と呼び、ナザレ人等が基督を擠《おしおと》さんとせし所と伝ふ。やゝしばし上りて山上の坦《たい》らなる道となり、西することしばらくにして、山上の凹みに巣くへる白き家と緑と錯綜せるナザレの邑《むら》顕《あら》はれ出づ。
 午後四時過※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]クトリア・ホテルの前に馬を下る。今日の行程七里。エルサレムよりナザレまで約二十七里。急げば二日|路《ぢ》。



底本:「日本の名随筆 別巻21 巡礼」作品社
   1992(平成4)11月25日第1刷発行
入力:斎藤由布
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング