サレムよりの帰るさ、弟子を伴ふてユダヤよりの帰途、基督《きりすと》は如何に其なつかしき、つれなき程|猶《なほ》なつかしき其ふるさとをば眺め玉ひけむ。おゝあれがナザレか、近いかなナザレ。否《いや》、近く見えても、あれでも一八九|哩《マイル》は候、と案内者は制す。
此大平原は、北はナザレ一帯|上《かみ》ガリラヤの連山、南はサマリヤの連山、東はキルボア山、小ヘルモン山、西はカルメル山脈に囲繞《ゐねう》されたるほゞ三角形の盆地にて、南北の最長約七里、東西の最長十一二里もあらん。地中海面より低きこと二百五十|呎《フイート》、乾ける湖の如く、一面麦熟れて黄金《こがね》の氈《せん》を敷く。パレスタインに来りて今日初めて平野を見、黒土の土らしき土を見る。麦は畝《うね》なしのばら蒔き、肥料を施さずしてよく出来たり。地味の豊饒思ふべし。春は野の花夥しく咲くと聞く。今はツユ葵《あをい》、矢車、野しゆん菊、野《の》人参《にんじん》の類のみ。
当面は新約、三方は旧約の古跡に包まれたる此平原はおのづから是れ古今《ここん》の戦場、十字軍がサラヂンの為に大敗をとりたるも此処なりき。
古跡より古跡
露の朝日をあたら馬蹄に散らしつゝ、やがてギルボア山に到る。是れサウル、ヨナタンのペリシテ人と戦ふて討死《うちじに》せし処、多恨のダビデが歌ふて「ギルボアの山よ、願はくは汝の上に雨露《あめつゆ》降ることあらざれ、亦|供物《そなへもの》の田園《はた》もあらざれ、其《そ》は彼処《かしこ》に勇士の干棄《たてす》てらるればなり」と哭《こく》せし山也。昔は樹木ありしと云ふも、今は赭禿の山海抜千六七百尺に過ぎず。此山の夷《ゐ》して平原に下《くだ》る所はエズレルの跡《あと》也。曾てイスラエルの王アハブが隣の民の葡萄園を貪り、后《こう》イゼベル夫の為に謀《はか》つて其民を殺して葡萄園を奪ひ、其|報《むくい》としてイゼベルは後王宮の窓より投落《なげおと》され、犬其肉を食《くら》ひしと伝へらるゝ所。今は土小屋七八立てるのみ。ほとりにふるき酒槽《さかふね》の跡あり。
エズレルの跡を見て山を北へ下れば、平原の余波はギルボア小ヘルモン両山の間を東へ走りて、ヨルダンの谷に到る。ギルボアの北麓には、ギデオンがメデア人を撃ちし時、水を飲ませてイスラエルの勇士をすぐりし泉の跡ありと、案内者は遥に山下《さんか》の一所を指し
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