おち/\は飲むで居られぬ程、自然は休戦の息つく間も与えて呉れぬ。
「草に攻められます」とよく農家の人達は云ふ。人間が草を退治せねばならぬ程、草が人間を攻めるのである。
 唯二反そこらの畑を有つ美的百姓でも、夏秋は烈《はげ》しく草に攻められる。起きぬけに顔も洗はず露蹴散らして草をとる。日の傾いた夕陰《ゆふかげ》にとる。取りきれないで、日中にもとる。やつと奇麗になつたかと思ふと、最早一方では生えて居る。草と虫さへ無かつたら、田園の夏は本当に好いのだが、と愚痴をこぼさぬことは無い。全体草なンか余計なものが何になるのか。何故人間が除草《くさとり》器械にならねばならぬか。除草は愚だ、うつちやつて草と作物《さくもつ》の競争さして、全滅とも行くまいから残つただけを此方に貰へば済む。といふても、実際眼前に草の跋扈《ばつこ》を見れば、除《と》らずには居られぬ。隣の畑が奇麗なのを見れば、此方の畑を草にして草の種を隣に飛ばしても済まぬ。近所の迷惑も思はねばならぬ。
 そこでまた勇気を振起《ふりおこ》して草をとる。一本また一本。一本|除《と》れば一本減るのだ。草の種は限なくとも、とつただけは草が減るのだ。手に
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