草とり
徳冨蘆花
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)合戦《かつせん》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)比較的|脆弱《ぜいじやく》な
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「あしへん+番」、第4水準2−89−49、68−11]《わだかま》つて
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)茶もおち/\は飲むで居られぬ程
−−
一
六、七、八、九の月は、農家は草と合戦《かつせん》である。自然主義の天は一切のものを生じ、一切の強いものを育てる。うつちやつて置けば、比較的|脆弱《ぜいじやく》な五穀蔬菜は、野草《やさう》に杜《ふさ》がれてしまふ。二宮尊徳の所謂「天道すべての物を生ず、裁制補導《さいせいほだう》は人間の道」で、こゝに人間と草の戦闘が開かるるのである。
老人、子供、大抵の病人はもとより、手のあるものは火斗《じふのう》でも使ひたい程、畑の草田の草は猛烈に攻め寄する。飯焚《めした》く時間を惜んで餅を食ひ、茶もおち/\は飲むで居られぬ程、自然は休戦の息つく間も与えて呉れぬ。
「草に攻められます」とよく農家の人達は云ふ。人間が草を退治せねばならぬ程、草が人間を攻めるのである。
唯二反そこらの畑を有つ美的百姓でも、夏秋は烈《はげ》しく草に攻められる。起きぬけに顔も洗はず露蹴散らして草をとる。日の傾いた夕陰《ゆふかげ》にとる。取りきれないで、日中にもとる。やつと奇麗になつたかと思ふと、最早一方では生えて居る。草と虫さへ無かつたら、田園の夏は本当に好いのだが、と愚痴をこぼさぬことは無い。全体草なンか余計なものが何になるのか。何故人間が除草《くさとり》器械にならねばならぬか。除草は愚だ、うつちやつて草と作物《さくもつ》の競争さして、全滅とも行くまいから残つただけを此方に貰へば済む。といふても、実際眼前に草の跋扈《ばつこ》を見れば、除《と》らずには居られぬ。隣の畑が奇麗なのを見れば、此方の畑を草にして草の種を隣に飛ばしても済まぬ。近所の迷惑も思はねばならぬ。
そこでまた勇気を振起《ふりおこ》して草をとる。一本また一本。一本|除《と》れば一本減るのだ。草の種は限なくとも、とつただけは草が減るのだ。手に
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング