つて、大沼の日は暮れて了うた。細君はまだスケツチの筆を動かして居る。黯青《あんせい》に光る空。白く光る水。時々ポチヤンと音して、魚がはねる。水際《みぎは》の林では、宿鳥《ねどり》が物に驚いてがさがさ飛び出す。ブヨだか蚊だか小さな聲で唸つて居る。
「到頭出來なかつた」
 ぱたんと畫具箱の葢をして、細君は立ち上つた。鶴子を負ふ可く、蹲《しやが》むで後にまはす手先に、ものが冷やりとする。最早露が下りて居るのだ。

    札幌へ

 九月十六日。大沼を立つ。駒が岳を半周して、森に下つて、噴火灣の晴潮を飽かず汽車の窓から眺める。室蘭《むろらん》通ひの小さな汽船が波にゆられて居る。汽車は駒が岳を背《うしろ》にして、ずうと噴火灣に沿うて走る。長萬部《をしやまんべ》近くなると、灣を隔てゝ白銅色の雲の樣なものをむら/\と立てゝ居る山がある。有珠山《うずさん》です、と同室の紳士は教へた。
 灣をはなれて山路にかゝり、黒松内《くろまつない》で停車蕎麥を食ふ。蕎麥の風味が好い。蝦夷《えぞ》富士※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−2
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