ろぐ。麥稈帽《むぎわらばう》の書生三人、庇髮の女學生二人、隣室に遊びに來たが、次ぎの汽車で直ぐ歸つて往つた。石狩川の音が颯々《さあ/\》と響く。川向ふの山腹の停車場で、鎚音高く石を割つて居る。囂《がう》と云ふ響をこだまにかへして、稀に汽車が向山を通つて行く。寂しい。晝飯に川魚をと注文したら、石狩川を前に置いて、罐詰の筍《たけのこ》の卵とぢなど食はした。
飯後《はんご》神居古潭を見に出かける。少し上流の方には夫婦岩《めをといは》と云ふ此邊の名勝があると云ふ。其方へは行かず、先刻《さつき》渡つた吊橋の方へ行つて見る。橋の上手には、楢の大木が五六本川面へ差かゝつて居る。其蔭に小さな小屋がけして、杣《そま》が三人停車場改築工事の木材を挽《ひ》いて居る。橋の下手には、青石峨々たる岬角《かふかく》が、橋の袂から斜に川の方へ十五六間突出て居る。余は一人尖つた巖角《がんかく》を踏み、荊棘《けいきよく》を分け、岬の突端に往つた。岩間には其處此處水溜があり、紅葉した蔓草《つるくさ》が岩に搦むで居る。出鼻に立つて眺める。川向ふ一帶、直立三四百尺もあらうかと思はるゝ雜木山が、水際から屏風を立てた樣に聳えて居る。其中腹を少しばかり切り拓いて、こゝに停車場が取りついて居る。檣《ほばしら》の樣な支柱を水際の崖から隙間もなく並べ立てゝ、其上に停車場は片側乘つて居るのである。停車場の右も左も隧道《とんねる》になつて居る。汽車が百足《むかで》の樣に隧道を這ひ出して來て、此停車場に一息つくかと思ふと、またぞろぞろ這ひ出して、今度は反對の方に黒く見えて居る隧道の孔に吸はるる樣に入つて行く。向ふ一帶の雜木山は、秋まだ淺くして、見る可き色もない。眼は終に川に落ちる。丁餘の上流では白波の瀬をなして騷いだ石狩川も、こゝでは深い青黝《あをぐろ》い色をなして、其處此處に小さな渦を卷き/\彼吊橋の下を音もなく流れて來て、一部は橋の袂から突出た巖に礙《さまた》げられてこゝに淵を湛へ、餘の水は其まゝ押流して、余が立つて居る岬角を摩《す》つて、また下手對岸の蒼黒い巖壁にぶつかると、全川の水は捩ぢ曲げられた樣に左に折れて、また滔々と流して行く。去年の出水には、石狩川が崖上の道路を越して鑛泉宿まで來たさうだ。此|窄《せま》い山の峽を深さ二丈も其上もある泥水が怒號して押下つた當時の凄じさが思はれる。今は其れ程の水勢は無いが、水を見つめて居ると流石に凄い。橋下の水深は、平常《ふだん》二十餘尋。以前は二間もある海の鯊《さめ》がこゝまで上つて來たと云ふ。自然兒のアイヌがさゝげた神居古潭《かむゐこたん》の名も似つかはしく思はれる。
夕飯後、ランプがついて戸がしまると、深い深い地の底にでも落ちた樣で、川音がます/\耳について寂しい。宿から萩の餅を一盂《ひとはち》くれた。今宵は中秋十五夜であつた。北海道の神居古潭で中秋に逢ふも、他日の思出の一であらう。雨戸を少しあけて見たら、月は生憎雲をかぶつて、朦朧《まうろう》とした谷底を石狩川が唯|颯《さあ》、颯《さあ》と鳴つて居る。
名寄
九月十九日。朝|神居古潭《かむゐこたん》の停車場から乘車。金襴の袈裟、紫衣《しえ》、旭川へ行く日蓮宗の人達で車室は一ぱいである。旭川で乘換へ、名寄《なよろ》に向ふ。旭川からは生路《せいろ》である。
永山《ながやま》、比布《ぴつぷ》、蘭留《らんる》と、眺望《ながめ》は次第に淋しくなる。紫蘇《しそ》ともつかず、麻でも無いものを苅つて畑に乾してあるのを、車中の甲乙《たれかれ》が評議して居たが、薄荷《はつか》だと丙が説明した。
やがて天鹽《てしほ》に入る。和寒《わつさむ》、劍淵《けんぶち》、士別《しべつ》あたり、牧場かと思はるゝ廣漠たる草地一面霜枯れて、六尺もある虎杖《いたどり》が黄葉美しく此處其處に立つて居る。所謂泥炭地である。車内の客は何れも惜しいものだと舌鼓うつ。
余放吟して曰く、
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泥炭地耕すべくもあらぬとふさはれ美し虎杖《いたどり》の秋
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士別では、共樂座など看板を上げた木葉葺《こつぱぶき》の劇場が見えた。
午後三時過ぎ、現在の終點驛|名寄《なよろ》着。丸石旅館に手荷物を下ろし、茶一ぱい飮んで、直ぐ例の見物に出かける。
旭川平原をずつと縮めた樣な天鹽川の盆地に、一握りの人家を落した新開町。停車場前から、大通りを鍵の手に折れて、木羽葺が何百か並むで居る。多いものは小間物屋、可なり大きな眞宗の寺、天理教會、清素な耶蘇教會堂も見えた。店頭《みせさき》で見つけた眞桑瓜を買うて、天鹽川に往つて見る。可なりの大川、深くもなさゝうだが、川幅一ぱい茶色の水が颯々《さあ/\》と北へ流れて居る。鐵線《はりがね》を引張つた渡舟がある。余等も渡つて、少し歩いて見る。多いものは
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