々|楢《なら》や白樺《しらかば》にからむだ山葡萄の葉が、火の樣に燃えて居る。空氣は澄み切つて、水は鏡の樣だ。夫婦島《めをとじま》の方に帆舟が一つ駛《はし》つて居る。櫓聲靜に我舟の行くまゝに、鴨が飛び、千鳥が飛ぶ。やがて舟は一の入江に入つて、紅葉館の下に着いた。女中が出迎へる。夥しくイタヤ楓の若木を植ゑた傾斜を上つて、水に向ふ奧の一間に案内された。
 都の紅葉館は知らぬが、此紅葉館は大沼に臨み、駒が岳に面し、名の如く無數の紅葉樹に圍まれて、瀟洒《さつぱり》とした紅葉館である。殊に夏の季節も過ぎて、今は宿もひつそりして居る。薪を使つて鑛泉に入つて、古めかしいランプの下、物靜かな女中の給仕で沼の鯉、鮒の料理を食べて、物音一つせぬ山の上、水の際の靜かな夜の眠に入つた。
 眞夜中にごろ/\と雷が鳴つた。雨戸の隙から電が光つた。而して颯《ざあ》と雨の音がした。起きて雨戸を一枚繰つて見たら、最早《もう》月が出て、沼の水に螢の樣に星が浮いて居た。
      (二)
 明方にはまたぽつ/\降つて居たが、朝食を食ふと止むだ。小舟で釣に出かける。汽車の通ふセバツトの鐵橋の邊《あたり》に來ると、また一しきりざあと雨が來た。鐵橋の蔭に舟を寄せて雨宿りする間もなく、雨は最早過ぎて了うた。此邊は沼の中でもやゝ深い。小沼の水が大沼に流れ入るので、水は川の樣に動いて居る。いくら釣つても、目ざす鮒はかゝらず、ゴタルと云ふ※[#「魚+少」、第3水準1−94−34]《はぜ》の樣な小魚ばかり釣れる。舟を水草《みづくさ》の岸に着けさして、イタヤの薄紅葉の中を彼方此方《あちこち》と歩いて見る。下生《したばえ》を奇麗に拂つた自然の築山、砂地の踏心地もよく、公園の名はあつても、あまり人巧の入つて居ないのがありがたい。駒が岳のよく見える處で、三脚を据ゑて、十八九の青年が水彩寫生をして居た。駒が岳に雲が去來して、沼の水も林も倏忽《たちまち》の中に翳《かげ》つたり、照つたり、見るに面白く、寫生に困難らしく思はれた。時が移るので、釣を斷念し、また舟に上つて島めぐりをする。大沼の周圍《めぐり》八里、小沼を合せて十三里、昔は島の數が大小百四十餘もあつたと云ふ。中禪寺の幽凄《いうせい》でもなく、霞が浦の淡蕩《たんたう》でもなく、大沼は要するに水を淡水にし松を楢白樺其他の雜木にした松島である。沼尻は瀑《たき》になつて居る。沼には
前へ 次へ
全16ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング